本当に、恋人もしくは恋人未満同士の別れのうた、なのだろうか?
本来男目線だった歌を、女性であるイルカがカバーして歌うことで、
その違和感はさらに深まってしまった。
おそらくは表題曲と同時に発表された、同じく伊勢正三作詞・作曲の
『22才の別れ』(かぐや姫/1974年/ by)*1と
シチュエーションを重ね見てしまっている影響も大きいのではないか思う。
青春最後の時期の恋人同士の
別れを歌った歌のように思われている節がある。
・・・果たしてそうなのだろうか?
「♪東京で見る雪はこれが最後ねと 寂しそうに君がつぶやく」
ここに悲壮感はあまりない。あるのは一抹の寂しさだけだ。
言動から決して最後の別れを惜しむ恋人同士ではないような気がする。
東京から去る、という事実が、元いた故郷へ帰るというイメージに
結びつきやすいが、果たしてそうだろうか。
東京出身者が、ほかの地域へ旅立っても何ら問題ないではないか。
「♪時が行けば幼い君も 大人になると気づかないまま」
これはむしろ、旅立っていく娘を見送る父親の視点、
ではないかとも思えてしまう。
また、見送っているのは一人ではなく
複数人であることは、ほぼ間違いないように思う。
「♪君の唇がさようならと動くことが 怖くて下を向いてた」
二人きりの別れの場面だったとすれば、しきりに時計を見たり、
うつむいて目を合わせようとしないなんて、
相手を子ども扱いしていたはずの主人公のほうが
よっぽどガキだったというオチになってしまうからだ。
主人公は、見送っているうちの誰だろう。
父親ではなく、友達や幼馴染とかだろうか。
男とも限らず「ボクっ娘」の幼馴染である可能性も捨てがたい*2。
それとも、兄やいとこ、だろうか。
幼い時分を知っているので、少なくとも同年代か、年上だろう。
自分としては父親説が限りなく捨てがたい。
「♪今春が来て 君はきれいになった」
大人になった「君」の、巣立ちの歌と考えて、間違いないだろう。
春の旅立ちを、門出の桜ならぬ、季節外れのなごりの雪が見送ってゆく。
雪までもが、まだ春じゃない、旅立つのはまだ早い、と告げているかのよう。
主人公の名残惜しい心境を、季節外れの雪が代弁してくれている。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
よく知られているように、このイルカの『なごり雪』は、オリジナルではなくカバー曲。
オリジナルはかぐや姫のアルバム『三階建の詩』の収録曲( by/1974年)で
シングルカットはされていない。ちなみに編曲は瀬尾一三。
アルバム名にある「三階建」は、そのメンバー3人の競作をアピールしているのだろう。
伊勢正三はこのアルバムに、
この『なごり雪』と前述の『22才の別れ』の最強の2曲を送り込んでいる。
一方、本稿で挙げたイルカのカバー(編曲 松任谷正隆)は、彼女の代表曲となった。
ピアノをあしらったおしゃれなアレンジがよい。
かぐや姫のメロディーを少し崩した
「♪時計を気にしてる」「♪君はきれいになった」
など、細かい部分の節回しが秀逸で、
さり気ない感じのフォークの秀曲を、
絶品のスタンダードナンバーにのし上げている。
「♪去年より↑ぃ ずっと きれいに↑ぃ なった↑ぁ」
直前の音程を残したまま歌い、語尾で次の音に持っていく歌い方、
オリジナルの伊勢正三の歌唱にはなかった歌い方が
このうたに更なる余韻を与えている。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
なごり雪も 降る時を知り
「なごり雪」という造語*3が、名残惜しんでいる雪、という意味合いを持たせ、
「なごりの雪=冬の余韻の雪」という意味合いとは一線を画しているように思う。
ふざけすぎた季節のあとで
季節外れの雪を指しているが、それと同時に子供時代の比喩であるともいえる。
子供だからと、無責任にじゃれていられる時期が終わったことをさしていると思われる。
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