日本の流行歌史上、大きな位置を占めるこの名曲は
「君」を何と解釈するかによって、歌詞の意味が大きく変わってくる。
そもそもが全体に抽象的で、暗喩のようなキーワードばかりで
具体的に何を言っているのかさっぱりわからないのだから、
それは当然のなりゆきともいえる。
普通にラブソングとして考えれば、
「君」は手の届かない女性と捉えることができる。
しかしいや待て。草野マサムネによるスピッツの歌詞の世界は
かなりメルヘンの世界に通じているフシがあるので
「君」といっても、必ずしも人とは限らない。
擬人化された物や現象であることも大いにあり得る。
ここはひとつ、自分自身の夢や希望、理想を
「君」と擬人化したと解釈してみよう。
「ふたり」という表現に違和感を覚えるかもしれないが、
『Face』(globe/1997年/ by)の
「♪鏡に映った あなたと二人 情けないようで 逞しくもある」の類似形と考えればよい。
現実の自分と、虚構(理想)の自分のふたりの物語と。
それでは全文日本語訳行ってみよう。
だけど、なぜか早くも物憂げな気分に陥ってしまっていた。
思い描いていた自分自身を必死で追いかけるんだけど、
どうもうまくいかない。
みんなといるときは、思い出話や過去の経験を
少し誇張を混ぜながら、得意げに話してみせているけれど、
正直、無理していると自分でも感じる。
自分以外のみんなは、輝いて見えて憂鬱だ。
決まり文句のように、誰もが思い描くような理想の姿を
いつしか自分自身の目標として作り上げてしまっていたんだろう。
自分のことは自分でしか決められないのに、
そんな理想の自分を、つかんで離さないように必死で追いかけていた。
そして何か幸運が舞い込めば、なんて夢物語を思い描いていた。
片隅に捨てられて、それでも生きている捨て猫を拾った。
現実の自分を見ているようで、思わず抱きしめてしまった。
いつも通りかかる交差点で、思わずふと夜空を見上げて考えてみた。
理想とする人生の先は、あまり輝いていないような気がしてきた。
それは満月なんかではなく、三日月とも言えないような
心細い、細長い月なんじゃないか。
理想の自分に向かってストップをかけてみた。
自分自身戸惑っている。
だけど他人の考えるような理想の姿を追うのはやめて
変わってみようと思うんだ。
自分のことは自分でしか決められない。
きまったゴールなんてないから、迷いながら進んでいく。
だけど相変わらず、いつ幸運をつかむことができたら、
なんて夢物語を思い描いている。
幸運をつかむことができたら、なんて夢物語を思い描いている。
なんだか、時の流れが背中を押してくれることを願っている
他力本願の歌になってしまった。
だけど、結構みんなそうなんだよね。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
スピッツの曲は、田村アキヒロによる手数*1が多めのベースが
自分的にどストライク。
『渚』(1996年/ by)、
『涙がキラリ☆』(1995年/ by)などで
歌いまくるベースを堪能することができる。
『ロビンソン』ではベースが抑え気味のミックス*2になっているためあまり目立たないが、
もっとベースを前面に出してくれれば、もっと締まったんじゃないかなと思う。
余計なお世話か。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
ロビンソン
特にこのタイトルに意味はないらしい。タイの百貨店名から付けたとか。
コードネームのようなものか。歌詞中に類する語すら登場せず。
おかげでこの曲、タイトルを聞いてもすぐに曲に結びつかない。
『チェリー』(1996年/ by)も同じ。
ノリと雰囲気だけでタイトルをつけないでほしいと願う。
これも余計なお世話。
誰も触れない二人だけの国
「君の手を離さぬように」「大きな力で空に浮かべたら」のキーワードから
映画「天空の城ラピュタ」のようなイメージを思い浮かべてしまうが、
この直前の歌詞に、ありふれた言葉の魔法で作り上げた、とあることから
これは虚構の世界だということがわかる。
二人だけの世界に閉じこもっている、というわけでもなさそうだ。
ここまで書いてふと思い出したが、
「もっとしっかり歌え、ってツッコみたくなって好きになれない」
友人の『ロビンソン』を評する一言に、
なるほどそういう考えもあるのだなと、当時感じたことを思い出した。
この曲が嫌いな人間なんか、居ないんじゃないか、
いたとしても「メタル以外音楽として認めない」というような
偏屈さんくらいだろうと思っていたので、大変印象に残っている。
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