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日本百名曲 -20世紀篇-

20世紀の日本の歌曲から、独断と偏見で100曲を紹介

『Hello, Again ~昔からある場所~』 /My Little Lover ~ 君と、僕と、冒険心と、ほんの少しの郷愁と。

詩と、小説との一番の大きな違いは、

周囲の状況や、登場人物が誰であるか

具体的に語られないところにあると思う。

 

小説だったら、光景がぱっと眼前に浮かぶような風景の描写から始まり、

名指しで書かれた主人公が、いま何をしている、

そんなところからスタートする。

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。」(『雪国』川端康成

 

 

一方、詩においては

登場人物が名指しで登場するようなことはあまりない。

ひとつの視点から見た情景や心象が

淡々と、時には情熱的に語られる。

 

「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」

(『汚れつちまつた悲しみに』中原中也

 

 

歌の歌詞はというと、まあ字面からして当然のように

やっぱりこれは詩の一種で、主人公の名前から始まることは

実在の人物や物語を題材にした歌以外ではほとんど見られない。

『山口さんちのツトム君』(川橋啓史/1976年)くらいじゃないか。

いきなりフルネームで登場人物が語られるのは。

 

 

 

余談はさておき、この歌においてもそれは変わらず、

最初から登場する「君」がいったいどういう人物なのか、

「僕」はいまどういう状況で、年齢はいくつなのか、

そんなことすらも語られることはない。 

 

いつも、おなじ「季節」を待っていたことから

「僕」と「君」が1年や2年の付き合いではないことは確か。

幼馴染との思い出に向き合っている歌なのだろうか。

 

「記憶の中で、ずっと二人は、生きていける。」

この言葉は断定なのだろうか。それとも

 「記憶の中で、ずっと二人は、生きていける?」

失うことを予感する問いかけなのだろうか。

 

 

全文日本語訳に臨んでみよう。

「君」がすでに亡くなっていて、

その遺志を継いで、今「僕」は生きているという前提は

ドラマチックだがありきたりで面白くない。

 

「僕」は風のうわさに「君」の消息を知る。そんな場面。

 

 

君は覚えているだろうか。

幼いころ、二人で毎年待ちわびていた季節だったけど、

近頃は、せわしない毎日に紛れて、いつか通り過ぎてしまう。

ずいぶん遠くまで来たけれど、今僕が住んでいるこの街。

今日は雨模様だ。

こんな日は、なぜかいつもふるさとの街を思い出す。

自分の心に今も引っかかって取れない、

後悔や後ろめたさのせいなのかもしれない。

 

あの時僕は、もう決して涙は見せないと誓ったよね。

君が心を痛めていることに気が付かずに

僕は一人夢に向かって突き進んでいた。

 

「記憶の中で、ずっと二人は生きていける。」

あのときの君の言葉が、時々ふと頭をよぎるんだ。

今思えばあれは幼い恋心から出た言葉だったんじゃないか、

君は僕の背中を押してくれたんじゃなくて

心の中で泣いていたんじゃないかと。

前ばかり見ていた僕はちっとも気が付かなかったけど。

 

 

自分の才能がどこまで通用するか、

それを試しているつもりはないけれど、

僕はやみくもに突き進んでいるわけじゃない。

一つ一つチャレンジしていくと

その先にもっと大きな目標が見えてくるんだ。

だからうんと背伸びして、時には逆境にも立ち向かいながら

しばらくはこのまま生きていこうと思う。

 

心の中のふるさとは、いつまでもあの時のままだけど

見ていないところでも、世界は移ろい変わっていくことを今日知った。

風のうわさに君のことを聞いたんだ。幸せをつかんだって。

 

 

僕の心に残っていた後ろめたさがなくなったようだ。

雨もいつの間にか上がっていた。

 

 

「記憶の中で、ずっと二人は生きていける?」

あのときの君の言葉がいまも心に残っている。

それは、僕の幼い恋心の残像だったのかもしれない。

もしかしてあの時、君は泣いてくれていたんだろうか。

僕は前ばかり見ていてちっとも気が付かなかったけど。

 

 

またいつか、

そんな昔の気持ちも思い出すことがあるだろう。

いつかまた、

懐かしいその場所で君に逢えるといいな。

 

 

 

うお、この解釈、来たんじゃね?

自分の中ではベストヒットだよ。

今までみたいに解釈に無理がないし*1

人が見てどうかは知らないけど。

 

 

 

名曲・聴きドコロ★マニアックス

この曲の何がこんなに心を揺さぶるのだろう。

 

メロディーなんて実に平滑だし、

リズミカルでもないし、キャッチ―でもない。

歌詞も具体性のないノスタルジー志向のもので、

これといった真新しさは特に感じない。

 

あえて特徴的なのものを挙げれば 

主人公が、女性ボーカルによる「僕」という点だろうか。

女性が歌うことで、主人公の少年性が強調されていることくらいだ。

この手法は『Secret Base~君がくれたもの』(Zone/2001年*2)などにも踏襲されている。

 

いやしかし、何故だろう。こんなに心を揺さぶられるのは。

稀代の才人、小林武史による

トータルプロデュースの賜物と片付けるのは簡単だ。

 

しかし本当にそこに理由があるのだろうか。

答えは出なさそうだが少し考えてみる。

 

ひとつに、ボーカルのakko*3の、不安気なボーカルに理由を求めてみたい。

従来の基準からみて、お世辞にも歌が上手いとはいいがたい。

かといって音痴ではない。

 

しかしこの曲にかぎらず、ほとんどにおいて

多重録音で録られているほど

か細く、不安定なボーカル。

どんなにリズミカルで明るいうたを歌っても、

どこかうら寂しさを醸し出すそのボーカル。

 

『ALICE』(1996年)なんかでもそれはよく顕わされている。

背徳的なはずなのに、後ろめたさよりも

背伸びしているような、地に足のつかない感じが前に出てしまう。

透明感とは違う、不安感、とも少し違う。

未成熟感というのが一番言い得ているだろうか。

 

 

 

主人公の『僕』の年代はいくつくらいだろう。

内容的に、すでにいい大人なんだろうが

このボーカルのせいで、まだ未成年か、という印象になる。

 

つまりは、いつまでたっても少年の印象を持つ青年、

というイメージが、ボーカルだけで表現されているのだ。

 

 

 

意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み

「リグレット」

 regret 英語で後悔のこと。こんな単語がポッと出てくるあたり

主人公は実は外国暮らしなんじゃないかと勘ぐってしまう。

単なるカッコつけの可能性もあるけど。

 

「遠い昔からある場所」

この言い回しがひとつのネックで、

「遠い」が何に掛かってくるかで、まるで意味が変わってくる。

言葉の並びから「遠い昔」としたいところだが、

それだと古のロマンになってしまうので

「遠い場所」という解釈の方がしっくりくる。

昔からある場所=故郷が、今は遠くにあるという意味。

 

こういう風に、言葉がどこに掛かるかによって

まるっきり意味が変わってしまうことが時々起こる。

 

かなり余談になるが、サザンオールスターズ

『マンピーのG☆SPOT』(1995年)の歌い出し。

「♪たぶん本当の未来なんてどうでもいいとあなたは言う」

「たぶん」がどこに掛かるかによって相当意味が変わるのだ。

「あなたは言う」に掛かれば、

未来を知ることができるとしても、そんなことはどうでもいい

という意味になるし、

「本当の未来」に掛かれば、

たぶん本当、なんてそんな不確実な情報は、どうでもいい

という意味になる。

 

 

「夜の間でさえ季節は変わっていく」

寝ている時でも時は過ぎていく、という意味だとは思うが、

「昔からある場所」の次に来ることから

昔からある場所=ふるさとが、地球の裏側にあるとも取れる。

 

 

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evergreen

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Hello,Again~昔からある場所~シングルジャケット/amazonより

作詞 小林武史、作曲 藤井健二&小林武史、編曲 小林武史

1995年(平成7年)8月21日、トイズファクトリーより発売

 

歌詞はうたまっぷ

MY LITTLE LOVER/歌詞:Hello,Again〜昔からある場所〜/うたまっぷ歌詞無料検索

 

曲にまつわる背景などはwikipediaにくわしい

Hello, Again 〜昔からある場所〜 - Wikipedia

 

オリコン最高位2週連続1位(年間6位/1995年)

脚注

*1:自分でいうのもなんだけど

*2:あ、20世紀の曲じゃないや

*3:すいません。今まで名前知りませんでした。アッコさん。