『田園』という、本文中にカケラも登場しないタイトルもさることながら
歌詞にしたって、結局のところ何が言いたいのか正直よくわからない。
難しい言葉なんて何ひとつ使われていないのに。
「僕」は、石ころを蹴飛ばし、夕陽に泣き、
陽だまりの中、がむしゃらに走る。
「君」は、夜空見上げて、星に祈り、
そろばんはじいて、頭を抱える。
「あいつ」は、油にまみれて、黙り込み、
空っぽのミルク瓶に、タンポポを挿す。
「あの娘」は、仕事ほっぽらかして、頬づえつき、
道を外れちゃって、途方に暮れる。
「僕」や「あいつ」のような男連中は、なんだかとってもロマンチストで、
「君」や「あの娘」のような女性陣は、現実の生活の中でもがき苦しんでいる。
そこまでは判るが、何故かは解らない。
それにしたって「僕」ばっかりカッコよすぎやしないか。
話の展開としては、もっとカッコ悪い部分をさらけ出した方が、良かったんじゃないのか。
だってこれ、できなくたっていい、見てくれがカッコ悪くてもいい。
頑張って生きていることがカッコイイんだ、
って曲なんじゃないかと思うから。
それともその解釈自体が間違っているのかなぁ。
周りのみんなのカッコ悪いところを歌いつつ、
自分のカッコ悪いところを見せるのは、
本当の自分をさらけ出すのを、ためらっているように見えてしょうがない。
そして、僕やみんな、愛はここにあるんだから
君は、どこにも行くことはできない、と断言する。
他に何ができる?とまで問うてみせる。
うわぁ、なんだか勝手だなあ。
そんな勝手なものにもかかわらず、なんだかとても勇気づけられるのが、
なんだかとっても、変。
おっと、ここで結論出ました。
この曲、 変。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
静かな高揚感、と表現するのが良いだろうか 。
馬の駆る音のような、タッタカタッタカ、というリズムに合わせて、
平坦なメロディーが、時にうねりながら疾走していく。
この手のリズムの曲は意外と珍しい。
『スイス軍隊の行進(ウイリアム・テル序曲)』 by*1のような
クラシック曲では時折耳にするような気がするが、
ポップスではあまり聞き覚えがない。
パッと思いつく限りは『ハイスクールララバイ』(イモ欽トリオ/1981年/ by
)
くらいだろうか。
(探せばほかにもいくらでもあるのかもしれないけど。)
そのためか、なんだかすごく独特な雰囲気をもった魅力的な曲に感じてしまう。
なんだかとっても捉えどころのない、
アピールポイント不明の曲であるにもかかわらず。
特筆すべき点をあえて挙げるとすれば、歌詞のない、叫んでいるような歌唱の部分。
この部分だけ、馬の駆けるようなリズムではなく、通常の8ビートになっている。
そのせいで、急にテンポアップしたように錯覚してしまうのだ。
だからこの部分が、この曲の一番の盛り上がりのようになっている。
「♪生きていくんだ それでいいんだ」のサビ部分よりもね。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
田園
結局のところ、表題曲の最大の難解部分はこのタイトルにある。
単なるフィーリングで付けた可能性も否定できないが。
「街にはじかれて」ドロップアウトした先が田園なのだろうか。
ほかのみんなが現実の中で働いてもがいている中、
僕だけが石ころや夕陽、陽だまりのような自然の中で
感情を殺さず生きているように見える。
僕がいるんだ 君もいるんだ みんなここにいる
タイトルと相まって、ムラ社会における「輪」をイメージしてしまうんだが、
はたしてその解釈で合っているんだろうか。
このあと、「愛はどこにも行かない」とあるので
なんとなく閉鎖的なムラ社会の印象を受けてしまう。
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※該当曲を聴ける保証はありません。
脚注
*1:【ウイリアム・テル序曲】ジョアキーノ・ロッシーニ作曲。ある一定世代以上にはひょうきん族のオープニング曲と言った方が通りがいいかもしれない