街灯もまばらな夜道。
妙に輪郭のはっきりとした自分の影を足元に見つけ
思わず背後を振り仰ぐと、そこには、ぽっかりと満月が浮かんでいたりする。
月の光って意外と明るいんだよね。
いつか、今夜の月のように光り輝くんだ、という
なんだか少し遠慮がち聞こえてしまいがちな、表題曲の歌詞も、
案外そんなに悪い目標でもないんじゃないか思える瞬間だ。
そう思って聴くと、
「♪くだらねぇと呟いて 醒めたツラして歩く」とか、
「♪いつまでも続くのか 吐き捨てて寝転んだ」とかいう
ブッキラボー*1でヤサグレ*2歌詞の中にも
新しい季節の始まり、や、愛を探しに行こう
といったの言葉に未来への光明が見えてくる・・・
と思いたいところ、、、だが、
結局のところこれも、「♪いつの日か・・・だろう」
具体的な年月、目標点のない夢物語にすぎず
時に、えもいわれぬ焦燥感に駆られて不安になりつつも
つまんねーなー、なんか面白い事ねーかなー、と無為に思いを巡らせているに過ぎない。
「新しい季節の始まり」とか言っているくせに、
「真夏の夜空」──季節のど真ん中──に街に吹く風は
当たり前のように「夏の風」なんだから。
季節変わってねェじゃん!
人生の岐路に立つような絶望もなく、
そのくせ尖って周りに当たり散らすこともせず、
ボソっとぼやくように憎まれ口をたたくだけ。
時にカッコつけて
「♪もう二度と戻らない日々を 俺たちは走り続ける」なんて口にするけど、
果たして走っているという自信がない。
あー、ホント、こういうことあるよな。
「♪君がいつかくれた 想い出のカケラ集めて 真夏の夜空ひとり見上げた」
「♪君の面影 キラリと光る夜空に 涙も出ない 声も聞こえない」
昔の彼女だろうか。
想い出に寄り添ってちょっとした現実逃避。
「♪今日もまたどこへ行く」すでに夜空の時間なのに、今さらの行動。
今日もうすぐ終わっちゃうよ?
「♪明日もまたどこへ行く」
予想通り今日は成果なしだったらしい。
明日に持ち越しらしい。これを先送りという。
「♪見慣れてる町の空に」
やっぱり今日はどこにも行けなかったらしい。
夜行性生物はこれだからいけない。
そして、あしたもきっと、今日と同じ日々が続いてゆく。
よほど人生が充実している人間ならともかく
だれでも一度は、(あるいはずーーっと)こういう状態を経験しているはずだ。
ある種、実に共感を得やすいシチュエーションともいえる。
同じような人間を見つけて安心を得る
ぬるま湯シンドローム。居心地いいよね。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
「♪あふれる熱い涙」という歌詞。
どういうわけか2通りの節回しで歌われている。
1回目と3回目は、言葉の本来のイントネーションに沿った
「あふれる あついなみだ」
2回目は、「今宵の月のように」と同じイントネーションで
「あふれる あついなみだ」
意味があるのかどうか、まったくわからない使い分けだが
おかげで、どっちのイントネーションで
歌えばいいかわからなくなって、結果的に音程があやふやになってしまう。
そういえば、唄い出しの「♪くだらねぇと」の
「く~ぅだ」の部分、
なんだか音程ちょっと変じゃね?
タイミングをつかみ損ねて慌てて声出したみたい。
ところで、どうでもいいけど、宮本浩次の声って
なんとなく時々ユースケ・サンタマリアの声に似てるよね。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
今宵の月のように
もうこの言い方が、かなりカッコつけだよね。
「今日の月みたいに」といわず「今宵の月のように」
照れ隠しに気取ったふりをしているとも取れる。
エレファントカシマシ
このバンド名ってすごいと思う。
音の響きのよさと、姦しいという古風な言葉のミックス。
なんだか少しカッコ悪いのに、なんだかとてもカッコいい。
英語のようで英語でない。もちろん日本語でもない。
絶妙な言葉のセンスに乗っかったネーミングに脱帽。
現在入手可能な音源
オリジナルアルバム 3曲目の『風に吹かれて』(1977年/ by
)
もカナリいいよね。そのうち採り上げよう。
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