日本百名曲 -20世紀篇-

20世紀の日本の歌曲から、独断と偏見による日本100名曲を紹介(500名曲もやるぜよ)

『そして伝説へ・・・』 NHK交響楽団 ~ ホントに伝説になっちゃった有言実行タイトル

競馬のGⅠファンファーレ( by)に代表されるように、
ファンファーレの名手である、作曲家・すぎやまこういちの面目躍如というべきだろう。

Aパートのファンファーレを、トランペットが高らかに歌い上げ、
一転ゆったりとおとなし目のBパート、転調を挟みながら感傷的な盛り上がりを見せるCパート、
Bパートのメロディに、波打つような伴奏を伴うDパートへとつながる。

駆け足気味に一気にテンポアップして歯切れのいいのEパートに突入し、
そして冒頭のファンファーレを展開させながらの怒涛のエンディングに向かい、
ティンパニーのロールを伴った低音で重厚に締める。この余韻がたまらない。



映画やドラマ主題歌のように、物語が持つ感動をそのまま思い出として内包したために
曲自体が持つポテンシャルを大きく超えて、愛されるようになる楽曲がある。

ものによっては、物語を体験していない者から見れば、
果たしてそこまでのモノだろうかと、首を傾げ、
自分から見た評価と周囲の評価のギャップの大きさに、どちらが正しいのか
楽曲としてどう評価したらよいか悩むということも少なくない。

表題曲がそういうものなのかどうか、自分には判断が下せない。
物語の影響を受けて、目が曇りまくっているのは自分でも認識しているからだ。


言わずと知れた、ビデオゲーム黎明期の超巨大金字塔、
ドラゴンクエスト*1 そして伝説へ・・・」の
フィナーレを飾るこの表題曲は、自分にとってそういう曲だ。
物語を締めくくるフィナーレを飾る曲として、これ以上のものは無いと信じ切っている。

売上チャートとしても、歌モノの全く入らない管弦楽曲として
異例の、アルバム年間31位を記録。
これが、次の『交響組曲ドラゴンクエストⅣ』(1990年/NHK交響楽団)の
アルバム週間チャート1位(年間では50位)に繋がったのは間違いない。
ジャンル別チャートじゃなく、総合チャートでの1位だ。快挙と言っていい。


タイトルをそのまま体現してしまったかのように、半ば神格化され愛されるこの曲に対し、
当の作曲者であるすぎやま自身は、扱いに困るのか
いくらか照れくさそうに接しているフシがあり、
再演するときには、駆け足気味で済ませてしまうこともしばしばだ。

とはいえ、『ロトのテーマ』から『そして伝説へ・・・』のつながり*2は、
個人的に聴くたびに涙ぐんでしまいそうになるほどの思入れが半端ない。
思い入れが強すぎて、以下楽曲の紹介というよりは、ゲームにまつわる
思い出話を延々と語ってしまうことになるであろうことを、あらかじめお詫びする。


交響組曲 ドラゴンクエストIII アルバムジャケット/amazonより
これは東京交響楽団により、シリーズ全曲カタログ化されたもの
  • 作曲・編曲 すぎやまこういち
  • 1988年(昭和63年)3月7日、アポロン音楽工業より発売のアルバム「交響組曲ドラゴンクエストⅢ」に収録
  • オリコン年間31位/1988年
  • 曲にまつわる背景などはwikipediaにくわしい:交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ… - Wikipedia


  • 数年に1度くらいのペースで新作が出るドラゴンクエストだが、
    正式な制作発表は、必ず少年漫画誌週刊少年ジャンプ」誌上で行われることは、
    その界隈では比較的よく知られている。
    これはドラゴンクエストの誕生に、ジャンプの多大なバックアップがあったことが大きい。

    一方、実はジャンプよりも早く新作発表のニュースを発信していた
    メディアがあったことは、あまり知られていないように思う。
    それはジャンプの発表より数日早く、ダイレクトメールにて行われていた。
    そこには、「詳細は○日発売の少年ジャンプ」で、と書かれていた。
    f:id:outofjis:20210715000102j:plain:w500


    これは、ゲームソフトに同封されていたアンケートはがきに答えると、
    エニックスからご褒美のようなダイレクトメールが送られてくるようになるものだ。
    制作開始発表、発売日決定、発売直前と、ことあるごとにハガキや封書で送られて来た。
    ドラゴンクエスト2の発売間際に届いた見開きA3のパンフレットなどは
    うち面がワールドマップになっており、ゲーム中に大変重宝したものだ。
    おかげでボロボロになったが、いまでもちゃんと取ってある。

    ドラゴンクエスト5の制作発表までは、ご丁寧に手書きの宛名書きで届いていた*3ので
    いかに発売元のエニックスが、このアンケートはがきを大事にしていたかがわかる。
    それもそのはずで、そもそもこんな無名のゲームに大物作曲家*4がついたのは、
    アンケートはがきに、すぎやま本人が答えたのがきっかけだったというのだから*5
    回答者を大事にするのも無理はないだろう。


    ともかく、このダイレクトメールのおかげで、
    クラスの誰よりも早く発売情報をキャッチしていた自分は、
    ジャンプの発表を待つことなく、友達に自慢するよりも前に
    ハガキを片手にスーパー長崎屋のゲーム売り場*6に駆け込み
    毎回新作の第1号の予約を勝ち取っていく、今思えばいけ好かないガキであった。

    社会現象にもなった購入客の行列のニュース*7を尻目に、
    整理券番号を持たない(店が整理券を用意するよりも前に予約したから当然だ)ガキが、
    使わずに取っておいたお年玉片手に、学校終わりの時間に悠々と購入していたのだ。


    さて、当時、親からプレイ時間制限を掛けられていたために、
    ゲームの進み具合は級友よりも後れを取っていたが、そんなことは関係ない。
    物語に没入し、各地の身勝手な王様たちに翻弄され、ヤマタノオロチの強さに呆れ果て、
    やがてアレフガルドに堕ちた身に降りかかる衝撃の事実と、
    次第に「自分が何者であるか」を悟っていく過程の驚きと興奮は、
    なんの予備知識もなく、順を追って初代、Ⅱ、Ⅲとたどった者だけが
    味わうことが出来た、幸せな時間だったと思う。


    やがて物語はクライマックスを迎え、永遠に失っていたはずの序曲が不意に流れ、
    表題曲に差し掛かった。これまでに旅した場面が次々と映し出され、
    ここで、自分は生まれて初めて「終わることの恐怖」を味わったと思う。
    終わってしまう。物語が終わってしまう。
    初めて聴く曲だが、楽曲がどんどんフィナーレに近づいてくることが
    感覚で分かってしまう。

    そしてラストに、ロトの洞窟が映し出され、
    すべてはここから始まった*8ことに思いあたり、
    クレジット表記とともに最終音が鳴り響く。
    放心状態のまま、音が消えてもしばらくは
    リセットボタンを押すことが出来なかったと思う。


    なお、スーパーファミコンのリメイク版(1996年)では、
    楽曲のリピート部分をオーケストラ版同様にカットした
    ファミコン版では、Dパートの次にCパートとDパートをリピートしていた)ために、
    エンディングがやけに短く、最後がロトの洞窟じゃなかったことに大憤慨した。

    このアレンジではエンディングの尺が足りないことに対し、
    誰も意見できなかったのだろうか!ぷんぷん!
    ・・・てな感じでアンケートはがきに書いてエニックスに送ったが、
    はたしてその意見は、少しは制作者側に届いたのだろうか?



    意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み

    交響組曲
    例によって音楽のジャンルは、定義があいまいなことが多く
    諸説ある、というよりも人によって分け方が違い、
    また、名乗ったもの勝ち、という側面もあって説明が難しい。

    ごく大まかに説明するなら、交響組曲とは
    交響楽団オーケストラ──弦楽器、管楽器、打楽器などを含めた大編成の楽団が演奏する、
    組曲スウィート──ひと揃えの楽曲 という意味になる。

    ちなみに、日本語ではよく似た言葉の「交響曲シンフォニー」は、
    楽章の構成などにある程度の決まりごとがあるので、
    こういう、寄せ集めの曲を指すには使用されない。


    エス
    ”QUEST”エス──探し求めて旅をすること、転じて冒険の意味。
    なかば日本語にもなっている、”Question” エスチョン──質問 や、
    "Request リクエス"──要求 と語源は同じで
    「探求すること」というような意味が根底にある。

    つまりは、ドラゴンクエストとは、本来の意味でいうならば
    世界各地にあるドラゴンの伝承調査を行い、その真実を追究する、
    というような、民俗学ないし考古学の学術調査の旅、的な意味合いとなる。


    現在入手可能な音源
    やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット

    ※該当曲を聴ける保証はありません。




    脚注

    *1:ドラゴンクエストⅢ】以下DQ3と表記する

    *2:【『ロトのテーマ』から『そして伝説へ・・・』のつながり】オーケストラ版組曲では、それぞれ序曲とフィナーレという扱いのため、離れて配置されているが、ゲーム中ではエンディングに続けて演奏されていた。
    最初のファミコン版のDQ3は、容量の関係でオープニングがカットされた(!)ため、序曲はこのタイミング以外では聴けなかった。

    *3:【手書きの宛名書き】正確に言うと、そのあとの1991年の漫画雑誌「少年ガンガン」創刊のお知らせまでは手書きで、1992年の年賀状では、宛名ラベルになっていた。

    *4:【大物作曲家】音楽番組のディレクターとしてザ・ピーナッツの売り出しに関わり、タイガース(沢田研二岸部一徳のいたグループサウンズの雄)の名付け親であり、稀代のヒットメーカー筒美京平の師匠であったりと、なんだかとんでもない経歴の持ち主が、なぜかゲーム作曲家を名乗るようになった。

    *5:【アンケートはがきがきっかけ】これもそのスジではよく知られている逸話だが、パソコンゲーム森田将棋」のアンケートはがきに、すぎやまが回答してきたのが縁というのだから、わからないものだ。

    *6:【スーパー長崎屋のゲーム売り場】ここは、どんな人気作でもかならず2割引(だったと思う)で売ってくれる上に、店員がゲームの素人(?)なので、発売日も決まっていないようなゲームでも、証拠があれば子どもの予約でも受け付けてくれたので大変重宝していた。

    *7:【社会現象にもなった購入客の行列のニュース】発売日は平日だったが、朝から各地の販売店に行列ができ、学校を休む子どもや、東京の家電量販店では数キロも続くような長蛇の列が出来、大きなニュースと問題になった

    *8:【すべてはここから始まった】初代「ドラゴンクエスト」の最初の洞窟の場面で終わるなんて、なんて粋なことをするんだろう。