ほんのつま先ほどの、
何とも表現できない違和感があった。
サブタイトルに「シルクロードのテーマ」と
ついていたことを知ってからだと思う。
そのとおりイントロからの演奏は実に中東的だ。
終始演奏を引っ張っているストリングスもそれっぽいし、
ズンチャカチャッチャ、ズンチャカチャッチャ、というリズムや、
メロディーを追いかけて補完するようなクラリネットの旋律、
エキゾチックにいろどりを添えている。
だのに、自分がこの曲に対して
元々おぼろげに持っていた印象は
そんなエキゾチックなものではなかった。
似たようなテイストを持つ、
中森明菜の『Sand Beige』( by
)や
メロディーからしてエキゾチックな感じがする。
一方、『異邦人』は、鼻歌なんかではエキゾチックな雰囲気が出にくい。
メロディー自体が全然それっぽくないからだろう。
CDで聴いてみて、ああ確かに
エキゾチックな曲なんだだな、と初めて感じたくらいだ。
リアルタイムで知ったような人には、わかりにくい感覚かもしれない。
CMソングとして使用されていたときには、
中東の映像とともに使われていたそうだから。
映像の力は大きい。
![異邦人 [EPレコード 7inch] 異邦人 [EPレコード 7inch]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51wI6XUDDgL.jpg)
しかし、あいにく
自分はリアルタイムの映像は知らない。
このエキゾチックテイストが、
あとづけで付けられたものだと知り*2、
ああ、それでか、と違和感の正体に感づいたつもりでいた。
1番の歌詞にはそれほどシルクロードの雰囲気はない。
失恋して、初めて自分が子供だったことを知った、という内容で、
ある種よくあるパターンだ。
2番はまるっきりシルクロード、中央アジアの雑踏を描写している。
内容の落差が激しいと感じるのは気のせいだろうか。
2番の歌詞はアレンジが決まった後で、まったく変更されたものではないか、
1番の歌詞もわずかしか原形をとどめていないのではないか、
印象的な「異邦人」という言葉すらも後づけではないか、
といろいろ勘ぐってしまう。
では酒井は、失恋ソングに何の脈絡もなく
後付けでシルクロードのイメージを埋め込み、
原形がなくなるほど変更してしまったのだろうか。
ここからは全くの推測に過ぎないが、
「異邦人」という歌詞は元々のオリジナルの
久保田の歌詞に既にあったのではないかと思う。
住んでいる世界が違った人、のことを
異邦人(元々はカミュの小説の邦題)という言葉で
表現したのではないだろうか。
その「異邦人」という言葉から酒井が喚起したイメージが
シルクロードだった、のではないかと思うが、
いかに。
はたして出来上がった曲は、素晴らしいものになった。
経過はどうあれ結果として
文句のつけようがないのは事実。
横からピーチクパーチクどうでもいいことをつついている
自分のような輩が一番つまらないということは解っているのだ。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
「ハンマード・ダルシマー」という楽器らしいが、
大正琴にエコーを効かせたような響きの楽器が、
実にエキゾチックな効果を与えている。
・・・というか、このエキゾチックな音を
大正琴になぞらえている時点で台無しだ。いけねぇ。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
「空と大地が触れ合う彼方」
地平線のことだね。こういう詩的な表現ができる人になりたい。
「異邦人」
「邦」の字は人名でしばしば「くに」と読まれるように「国」とほぼ同じ。
要するに異邦人は異国人のこと。
逆に、日本から見た邦人=日本人のことなのは感覚的にわかると思う。
ただの通りすがりである私が=異邦人、
ということは、この物語の主人公は今現在
異国を旅している(あるいは何らかの目的で滞在する)ことがわかる。
彼はそんな異邦人である「私」に対して、
ちょっと興味を持っただけだったのだろう。
「時間旅行」
もちろん、タイムスリップしているわけではない。
古き時代を思わせる街で、歴史に思いを馳せることで
不思議と傷心が癒されていく、というようなことだろう。
旅行者や研究者だったのなら、こちらが本来の目的だったのだろうから。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット
※該当曲を聴ける保証はありません。