まったくの個人的観点から言わせてもらうが、
バンド・サウンドのベストはイエモンだと思う。
おそらく意識的に超高音と重低音を排除し、
中低音の音域にどっかと腰を据えた骨太のサウンドに、
話し言葉のような日本語を載せている。
そのせいだろう、歌詞カードがなくても
何をしゃべっているのか割合はっきりと聞き取れる。
そう、歌っているというよりは喋っているような感覚。
そして、これは意識しているわけではないと思うが、
アクセントがおかしくなるくらいであれば、
平然とリズムや旋律を変えてしまうようなことを、あっさりやってのける。
そんなこんなで言葉を大事にしている印象を受けるから、
イエモンは歌詞がいい、なんて評判を受けるのだろう。
結構カッコつけて、気取った感じがミエミエなのに
本心を語っているように聞こえるから不思議だ。
『太陽が燃えている』においては、
洋楽かぶれのゴリゴリのサウンドのクセに、英語らしい英語はほとんど使われていない。
使われている外来語は、プレゼントとかリボンとかフリージアとか、
すでに日本語と化している英語だけだ。
あえて英語らしいのを挙げれば「Yeah」だけだろう。
こういうところもこだわりに見えるからこれまた不思議だ。
なんなんだろう。そういうのも人徳というのだろうか?
話はガラッと変わって、
なんで彼らは「イエモン」なんて和風な通称をつけられてしまったかね。
そもそもイエローモンキーというバンド名もどうかしているが。
なんたって、イエモンといえば、
四谷怪談のお岩さんの、その旦那、田宮伊右衛門の名前。
お岩さんに毒をもって醜い容貌にしてしまい、
自殺に追い込む鬼畜旦那の名前だ。
ほんとにいったい誰が選りによって名付けたか、
イエモン。
なお、お茶の伊右衛門が登場したのは
YELLOW MONKEY活動休止と同じ2004年のこと。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
ブレイクが大変カッコよろしい。
「♪生きていられるだけでも 愛が必要だから」の後。
演奏が止まって、
吉井のボーカル「♪たい・・・」だけになる部分。
「ようがー!」で再び演奏が始まる。
しかしいま現代において、音楽におけるブレイクといえば
鳴かず飛ばずの状態から、一気に有名になることを指す言葉になってしまった。
元来音楽でブレイクといえば、
演奏を一瞬無音にして、次のキメを際立たせる技法。
『プレイバックPart2』(山口百恵/1978年/」 by)や
『Cat's Eye』(杏里/1983年/ by)
『星屑のステージ』(チェッカーズ/1984年/ by)
なんかでカッコいいブレイクが聴ける。
しかしどういうわけか、近年では言葉だけでなく、
演奏のブレイクそのものを嫌忌しているのか、理解できないのか、
昔の曲のカバーなんかで見られるんだけど、
本来ビシッと決まるはずのブレイクの瞬間に、
ドラムが止まりもせずにシャカシャカ鳴り続けたりるすのを
たびたび耳にして、正直これがたいへん不満。
それとも、ブレイクしちゃうと
再開のタイミングが図れないのだろうか?
そんな欲求不満を訴えているのは自分だけなんだろうか?ぶつぶつ。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
プレゼントのリボンのように ときめく君と結ばれたい
リボン、結ぶと掛けてあるだけで大した意味はないと思うが、
プレゼントのリボンは必ずほどけるようになっている。
拘束しない関係をご所望か。
「悲しみの雨がやみ」
「暗い夜空に朝日が昇る」
「キズも涙も今は捨てて」
「いくつもの涙をこらえ」
表現を変えながらすべて同じこをと言っている。
つらいことは、すべて忘れて乗り越えよう、と。
太陽が燃えている
燃えるような恋心、もしくは意思。
かなり大げさな表現だけど、これも妙に説得力がある。なんでだろう。