日本百名曲 -20世紀篇-

20世紀の日本の歌曲から、独断と偏見による日本100名曲を紹介(500名曲もやるぜよ)

『One more time, One more chance』/山崎まさよし ~ 待ち人来たらず。だって待ち合わせていないので。

個人的願望としては、ここに歌われている「君」には
なんとしてでも、生きていてもらいたい。

亡くした人に対して遂げられなかった思いを
夢のような奇跡の物語で叶えるなんて話は
もはやあらゆるジャンルの物語で、手を変え品を変え語りつくされており
正直食傷気味だ。ゲェっと生々しいげっぷも出ようものだ。

元来そのような設定がない物語でさえ、読み手側の裁量でこの手の話に解釈されてもしまう。
となりのトトロのサツキとメイが実はもうすでに死んでいる*1
なんていうような妄想裏設定を、これ以上増やしてなるものか。


そんなわけで、この山崎まさよしによる私小説的な物語に対しては、 
「君」がすでに亡くなっているという解釈を決して持ち出すことなく
主人公だけが悶々と過去の至らなさを悔やんでいる、
そんなシチュエーションを考えてみようと思う。

「♪不意に消えた鼓動」や「♪季節よ移ろわないで」、「♪命が繰り返すならば」
なんていう、そこで何かが停止してしまったような表現は、
単なる大げさな比喩表現なんだと、隅に押しのけることにして。

One more time, One more chance シングルジャケット/amazonより
 
  • 作詞・作曲 山崎将義、編曲 森俊之
  • 1997年1月22日、ポリドールレコードより発売
  • オリコン最高位18位(年間97位/1997年)
  • 歌詞はうたまっぷへ:One more time,One more chance 山崎まさよし 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
  • 曲にまつわる背景などはwikipediaにくわしい:One more time, One more chance - Wikipedia

  • とはいえ間違いなく片思いの曲だ。
    「♪食い違うときはいつも僕が先に折れたね」
    ちょっとしたけんかをする程度には親しかったようだが、
    「♪言えなかった『好き』という言葉も」
    という言葉から片思いだったことがわかる。

    一方、どれだけ思いが募っても、会いに行くことがかなわないらしい。
    何故か。片思いしていたら、ほかの誰かにとられてしまった、という解釈もありだが、
    ウジウジと右往左往するみっともないさまを見る限り、
    プライドが邪魔して会いに行けない、というわけではなさそうだ。

    そのあまりの深刻っぷりに、相手の時が止まってしまった、、おっとこれはナシだった。
    会いに行こうにもそれが叶わない、つまりは音信不通になる状況を考えてみよう。

    たとえば、自分の意志とは関係ない引っ越しなどで引き裂かれた想い。
    自分か相手が、行き先も思いも告げぬまま転校、あるいは上京してしまった、
    そんな結構幼い、初恋のような片思いを歌った曲なのかもしれない。
    初恋は遂げられず、振り切り方もまだ知らないからこそ心に残り、
    それだからこそ、いつまでたってもやりきれなさが残る。

    そう考えると、おそらくは去ったのは主人公の方。
    駅の向かいのホームや、交差点、踏切など、そんな人が立ち止まるところ。
    そんな日常の風景の中に、面影やシルエットが似た人を見つけては
    やっぱり違った。そもそも「♪こんなとこに居るはずもないのに」。と思いなおすのだ。

    日常にいないということは、この地域ではなくもっと別の地域にいるということ。
    「♪旅先の店、新聞の隅」であれば、もしかしたら音信を掴めるかもしれない、
    とかすかな希望を寄せるが、砂漠の中に失くした砂粒を探すようなもの。
    見つかるはずもない。

    桜木町の駅、いまでこそみなとみらい地区の玄関口として訪れる人も多いが
    かつては、地元民しか利用しないような、幹線道路に隣接した都会の薄汚いガード下の駅、
    という様相だったと記憶している。決してよそ者が用のあるような駅ではない*2
    そんなところに来るはずもない。わかりきっている。だけどどこか期待してしまう。

    起こりもしない奇蹟を、切に期待するほどもなく、あてもなくただ夢想して、
    想いを踏ん切るほどの新たな出会いもなく、後ろ向きに暮らす日々。
    「♪季節ようつろわないで」という言葉は、
    過去の思い出が遠くなっていくことを嘆いているだけではなく、
    変わりばえのないそんな日々が無為に過ぎていくこと、
    そっちの方が実は深刻であることに、
    心のどこかで気づいているからこその言葉ではないかと思う。




    かくいう自分も、黙って転校していって音信不通になったことがある口で、
    その後、かつて在住した地域に所用で出向いた際には、
    かすかな奇跡を期待(というか妄想だな)することもなくはないが
    かつての友人や知り合いに行き会ったことはただの一度もない。

    積極的に動いていないと言えばそれまでで、
    今であればネットを検索したり、同窓会サイトでたどってみれば
    あるいは何か掴めるかもしれないが、
    この歌が歌われた当時は、そこまでネット環境が発達していない。
    まだまだ電話回線による接続が主流で、メインブラウザはネットスケープ
    一世を風靡したgoo検索エンジンや、ジオシティーズ無料ホームページでさえ、
    まだ登場前夜。
    いやはや、懐かしいねぇ。



    ところで、はじめてこの曲を聴いたのは、たしかスキー場だったと記憶している。
    その時は、○○とそっくりの旋律だなぁ、と思った覚えがある
    その後は、この途中のドラムインが見事なこちらの曲が主となってしまい、
    果たして何の曲にそっくりだったのか、今となってはそっちが思い出せないのだ。


    意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み

    急行待ちの踏切
    桜木町近辺は、先に述べたようにガード下のある、高架の路線なので踏切はない。
    もっと別の場所か、比較的近いところでいうと相鉄線京浜急行の踏切だろう。
    「急行待ち」をするので、この当時ですでに急行列車がほぼなくなっていたJRではない。

    ところで、どうして踏切において「急行」を待っていることがわかるか。
    普通、踏切で次にどんな系統の列車が来るかはわからないはずだ。

    おそらくそれは駅近くの踏切で、駅で各駅停車の列車が急行の追い越し待ちをしている状態。
    列車が止まっている状態でも、その進行方向にある近くの踏切は遮断機が下りてしまうのだ。
    急行を待っている列車があり、その列車を待っている踏み切りは開かない。




    現在入手可能な収録CD/視聴可能
    やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット

    ※該当曲を聴ける保証はありません。




    脚注

    *1:物語の途中から、影が描かれていないないのがその証拠のひとつ、だとか。

    *2:実はわたくし横浜生まれ。何十年も前の記憶だけれども、確かそんな感じだった覚えがある。ていうか、東横線桜木町駅って、知らないうちに無くなっていたんだ!そっちの方がびっくり。