個人的願望としては、ここに歌われている「君」には
なんとしてでも、生きていてもらいたい。
亡くした人に対して遂げられなかった思いを
夢のような奇跡の物語で叶えるなんて話は
もはやあらゆるジャンルの物語で、手を変え品を変え語りつくされており
正直食傷気味だ。ゲェっと生々しいげっぷも出ようものだ。
元来そのような設定がない物語でさえ、読み手側の裁量でこの手の話に解釈されてもしまう。
となりのトトロのサツキとメイが実はもうすでに死んでいる*1、
なんていうような妄想裏設定を、これ以上増やしてなるものか。
そんなわけで、この山崎まさよしによる私小説的な物語に対しては、
「君」がすでに亡くなっているという解釈を決して持ち出すことなく
主人公だけが悶々と過去の至らなさを悔やんでいる、
そんなシチュエーションを考えてみようと思う。
「♪不意に消えた鼓動」や「♪季節よ移ろわないで」、「♪命が繰り返すならば」
なんていう、そこで何かが停止してしまったような表現は、
単なる大げさな比喩表現なんだと、隅に押しのけることにして。
とはいえ間違いなく片思いの曲だ。
「♪食い違うときはいつも僕が先に折れたね」
ちょっとしたけんかをする程度には親しかったようだが、
「♪言えなかった『好き』という言葉も」
という言葉から片思いだったことがわかる。
一方、どれだけ思いが募っても、会いに行くことがかなわないらしい。
何故か。片思いしていたら、ほかの誰かにとられてしまった、という解釈もありだが、
ウジウジと右往左往するみっともないさまを見る限り、
プライドが邪魔して会いに行けない、というわけではなさそうだ。
そのあまりの深刻っぷりに、相手の時が止まってしまった、、おっとこれはナシだった。
会いに行こうにもそれが叶わない、つまりは音信不通になる状況を考えてみよう。
たとえば、自分の意志とは関係ない引っ越しなどで引き裂かれた想い。
自分か相手が、行き先も思いも告げぬまま転校、あるいは上京してしまった、
そんな結構幼い、初恋のような片思いを歌った曲なのかもしれない。
初恋は遂げられず、振り切り方もまだ知らないからこそ心に残り、
それだからこそ、いつまでたってもやりきれなさが残る。
そう考えると、おそらくは去ったのは主人公の方。
駅の向かいのホームや、交差点、踏切など、そんな人が立ち止まるところ。
そんな日常の風景の中に、面影やシルエットが似た人を見つけては
やっぱり違った。そもそも「♪こんなとこに居るはずもないのに」。と思いなおすのだ。
日常にいないということは、この地域ではなくもっと別の地域にいるということ。
「♪旅先の店、新聞の隅」であれば、もしかしたら音信を掴めるかもしれない、
とかすかな希望を寄せるが、砂漠の中に失くした砂粒を探すようなもの。
見つかるはずもない。
桜木町の駅、いまでこそみなとみらい地区の玄関口として訪れる人も多いが
かつては、地元民しか利用しないような、幹線道路に隣接した都会の薄汚いガード下の駅、
という様相だったと記憶している。決してよそ者が用のあるような駅ではない*2。
そんなところに来るはずもない。わかりきっている。だけどどこか期待してしまう。
起こりもしない奇蹟を、切に期待するほどもなく、あてもなくただ夢想して、
想いを踏ん切るほどの新たな出会いもなく、後ろ向きに暮らす日々。
「♪季節ようつろわないで」という言葉は、
過去の思い出が遠くなっていくことを嘆いているだけではなく、
変わりばえのないそんな日々が無為に過ぎていくこと、
そっちの方が実は深刻であることに、
心のどこかで気づいているからこその言葉ではないかと思う。
かくいう自分も、黙って転校していって音信不通になったことがある口で、
その後、かつて在住した地域に所用で出向いた際には、
かすかな奇跡を期待(というか妄想だな)することもなくはないが
かつての友人や知り合いに行き会ったことはただの一度もない。
積極的に動いていないと言えばそれまでで、
今であればネットを検索したり、同窓会サイトでたどってみれば
あるいは何か掴めるかもしれないが、
この歌が歌われた当時は、そこまでネット環境が発達していない。
まだまだ電話回線による接続が主流で、メインブラウザはネットスケープ。
一世を風靡したgoo検索エンジンや、ジオシティーズ無料ホームページでさえ、
まだ登場前夜。
いやはや、懐かしいねぇ。
ところで、はじめてこの曲を聴いたのは、たしかスキー場だったと記憶している。
その時は、○○とそっくりの旋律だなぁ、と思った覚えがある
その後は、この途中のドラムインが見事なこちらの曲が主となってしまい、
果たして何の曲にそっくりだったのか、今となってはそっちが思い出せないのだ。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
急行待ちの踏切
桜木町近辺は、先に述べたようにガード下のある、高架の路線なので踏切はない。
もっと別の場所か、比較的近いところでいうと相鉄線や京浜急行の踏切だろう。
「急行待ち」をするので、この当時ですでに急行列車がほぼなくなっていたJRではない。
ところで、どうして踏切において「急行」を待っていることがわかるか。
普通、踏切で次にどんな系統の列車が来るかはわからないはずだ。
おそらくそれは駅近くの踏切で、駅で各駅停車の列車が急行の追い越し待ちをしている状態。
列車が止まっている状態でも、その進行方向にある近くの踏切は遮断機が下りてしまうのだ。
急行を待っている列車があり、その列車を待っている踏み切りは開かない。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
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