気が付けば、もはや昭和という時代も、
すでに歴史時代のひとつとなりつつあって、
現代というよりは近代、の扱いになってきているような気がする。
自分が幼少の頃を過ごした昭和の終わりの時代
-自分にとってはそれが歴史時代という感覚はまったくない-が、
なにかにつけ、古き懐かしき時代扱いされるのを見聞きし
あれがもはや現代ではない、と思い知らされるのは不思議な感覚だ。
だって生まれたときには、当然のように写真もテレビもカラーだったし、
現役の蒸気機関車なんか、当然見たことないんだからっ!
さて、『旅の夜風』という曲名にピンと来なくても、
映画『愛染かつら』の主題歌として、
「♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道」という出だしの部分をきけば、
ああ、これは絶対どこかで聴いたこともある、と合点がいく。
この曲は同じ昭和とはいえ、ずいぶんと時代がさかのぼって日中戦争のさなか、
戦前である昭和13年(1938年)のリリース。
ここまでくれば、もはやだれもが歴史時代であると認識することは疑う余地もない。
この当時は写真は当たり前に白黒で、映画はあるがテレビなんてものは無く
線路では蒸気機関車が主役を張っていた時代。
ちょんまげはないが、束髪が現役だった時代。
だけどひょっとすると、平成以降に生まれから見れば
昭和の初期も末期も昔であることに変わりはなく
我々の世代から見た、大正時代と昭和初期の違い程度にしか感じないかもしれない。
アコーディオンとフィドル*1による前奏に古き良き時代を感じるが、
歌が始まってしまえばもう時代は関係なく、良いものはいつのものも良いという感覚になる。
当時の曲としては比較的めずらしく、歌詞も文語調というよりは口語調に近く
難しい言い回しがあるものの、比較的わかりやすい感じがする。
歌詞だけをみて解釈し、現代語訳した内容を以下に載せてみよう。
本当のところは、後で調べたところ映画のストーリィにかなり即しているようなので、
かなり違った解釈になっていることを、前もってお断りしておく。
答え合わせは、日本語訳*2のあとで。
信念に従って生きることこそ、男の生きるべき道と見定めた。
悲しげにホロホロと啼く鳥よ、それ以上啼かないでくれ
その悲しい声はまるで自分の本心を代弁しているように聞こえてしまうから。
私は月夜の比叡の山並みを一人ゆく、いち回峰行者なのだから。
(女)優しかったあの人は、私と子供を残して
たった一人あの空の向こうへと旅立ってしまった。
かわいいわが子こそが、今の私の生きがい。他には何もいらない。
だけど子守唄を歌う時でさえ、ふとさみしさがこみあげることがある。
(男)秋の気配が深くなってきた、加茂川の河原に降り立つと、
この身肌が夜風にしみるように冷えてくる。
向かい風に立つこの河原の柳のように、男が泣くことは許されぬ。
柳は強い風も受け流し、揺れるのはその影だけなのだから。
(女)愛しき人は、はるかあの山あの雲より遠く
心と心も、もうずいぶん離れてしまっているけれど
待っていればいつか、愛染明王を祀ったこの桂の木が
二人を引き合わせてくれると信じている。
俗世を捨て比叡山の回峰行に挑みながら、心の底ではしがらみを捨てきれない男と、
深い信心を持ちつつも、男が自分のもとに戻ってくることをあてもなく待つ女、
そんなわけのわからない図式になってしまった。
さて、答え合わせの時間。
ネットで調べる限り映画のほうのストーリィはというと、、、
夫に先立たれた若き看護師と、大病院のボンボンとのラブストーリー。
二人思いを寄せながらも。子持ちゆえの遠慮や周囲の思惑の交錯、
看護婦から歌手への転身や、ありがちなすれ違いのエピソードを絡めながら、
最後には、あの日愛染堂の桂の木の下で交わした約束を遂げる。
ああ、当たり前だけど修験者の話じゃなかった!
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
ほろほろ鳥
似た和名を持つ鳥(ホロホロ鳥)がアフリカにいるが、それとは無関係。
古くから、ヤマドリなどの雉の仲間の鳴き声*3がホロホロと表現されてきた。
あるいは、主人公の男が、名も知らぬ鳥がホロホロと啼いているようにきこえたから、
そう名付けたのかもしれない。
加茂の河原
京都市内を流れる鴨川の河原。昔は今よりも厳密に表記を区別しなかったために
鴨川と書いたり、賀茂川と書いたり、加茂川と書くことがあったり様々だが、
現在では出町柳より北を賀茂川(加茂川)、南を鴨川とするのが通例となっている。
(法律上は鴨川が正しいが、何も法律が正しいとは限らない。)
愛染かつら
昔から、なんだか愛新覚羅*4に似ているなぁ
とは思っていたが、基本的には関係ない。作者が言葉の響きをヒントにした可能性はある。
愛染明王を祀ったお堂の境内にそびえる、桂の木のことらしい。