「青山学院の第二の校歌」とも呼ばれているというからには、
てっきり青山学院大学のことだと思っていたのだが
青山学院といっても、実は青山学院高等部ゆかりの歌らしい。
(ところで、「高等部」って声に出して言うと、「後頭部」とまったく同じだよな。)
少なくともこれを歌っていたペギー葉山にとっては、
まさしく出身校である青山学院高等部の歌だったらしい。
歌詞的には、時代もあったんだろうけど、ずいぶんと青く、スレていない感じが、
確かに大学時代よりは高等時代の方がしっくりくるような気がする。
今の感覚では、「学生時代」っていうと大学時代なんだろうけどね。
実際、作詞作曲を行った、青山学院大学出身の平岡精二は、
作成当初は大学のほうをイメージしていたようだ。
そして、この歌が登場した昭和39年(1964年)頃の、
女性の大学進学率(短大含む)は、このころようやく10%を越えた程度で、10人にひとりだ。
男女比率でいうと、女性は全体の約25%、男3人に対して、女ひとりの割合。
20世紀末には女性の進学率はほぼ50%に達し、男女比率もほぼ50%となった現代から見ると、
当時の「女子大生」はかなり少数派と言っていいだろう。
そういう背景もあって、この歌は高校生も含む、学生全体をイメージした歌として定着した。
それにしても、歌詞を見るに感じるのは、過去が美化されすぎじゃないかということ。
「♪秋の日の図書館のノートとインクのにおい 枯葉散る窓辺 学生時代」
学生時代は、こんな美しい想い出ばかりじゃなかったはずだ。
思いを告げることもできず破れた恋なども歌ってはいるが、
「♪胸の中に秘めていた恋への憧れはいつも儚く破れて 一人書いた日記」
そのときの感情を歌うのではなく、ずいぶんと淡々と描かれている
全体がそういった情景に包まれているせいで、ずいぶん浮世離れしたイメージになっている。
これは青山学院がミッションスクール*1であるということに対する、
一種の偏見や憧れに起因するものかと思っていたのだが、
先に述べたように、作り手も歌い手も、どちらも内部出身らしいので、
「憧れ」を描いたものでもなさそうだ。いよいよ違和感が強くなる。
ただ、「♪チャペルで祈りをささげた日」というのが
たとえば挙式の日だったとすれば、なんとなく辻褄が合いそうな気がする。
式に列席した、かつての同級生たちと久しぶりに対面し、
かつての美しい思い出が現前にぱっと広がる、そんなイメージか。
そんな脳内お花畑の状況であったらありえるかもしれない。
ところで、この「つたの絡まるチャペル」を、青山学院内にある、
チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂とみる意見が多く、
実際『学生時代』の歌碑が目の前に建てられているなど、
モデルになっているのは間違いないんだろうけど
歌詞のストーリィを見る限りは、学生時代を過ごした場所と、このチャペルは
別の場所だろうと思う。
どこか別のチャペルで祈りをささげたときに、
そういえばあの時も、、と学生時代の美しい思い出がよみがえり、
友の顔や、通った「あの道」(「この道」じゃないことに注目)を思い出したのだ。
母校のチャペルに行ったのならば、祈りをささげるよりももっと前、
たとえば、行こうと思い立ったとき、敷地に入ったとき、廊下や教室を目にしたとき、
そのときそのときに、その場所場所に残る思い出が湧き上がって
きっと、美しい思い出以外も、思い出したに違いないからだ。*2
時も場所も遠いからこそ、思い出は美しくいられるのだと思う。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
賛美歌を歌いながら清い死を夢見た
なにも、殉教徒にあこがれたわけではないだろう。
破滅願望や、教えに命をささげる覚悟、というような重いものではなく、
どちらかというと、大人になり穢れることへの不安や、聖なるものへのあこがれといった
純粋さを象徴していると思われる。
過去を振り返ったときに、当時の心境を「清い死を夢見」ていたとして、
「♪いつまでも変わらずと」願うことが幸せだったと歌い、
「♪懐かしい日々は帰らず」とめる。
大人になったときに、純粋だった日々を振り返ってしまったからこそ、
これほどまでに過去が美化されてしまっているんだな。きっと。
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