思考の跳躍っぷりが半端ない。
第一声、「春一番」で始まった歌が、わずか8小節足らずのうちに「6月」になり、
16小節に達する頃には、遥か「夏休み」にまで達する。
この間、文字数にしてわずか36文字。
「♪春一番が 小さな過去へと遠くなる六月
心はウワの空 指折り数える バラ色の夏休み」
なんというめまぐるしさだろう。
シーンが一気に、2月上旬から、7月下旬まで駆けぬけるのだ。
ちなみにこの思考を行う現在はというと、6月らしい。
気が早いことこの上ない。
散文形式*1の詩でこれなのだから、
もしもこれを世界一短い詩といわれる俳句にしたらこうなる。
春一番 指折り数える 夏休み
これはもう俳句舐めてんのかと絶対怒られるパターンだ。
個人的にはどストライクのサウンドで、
曲のテンポや各楽器の配置など申し分ない。
ギターが特によくて、Aメロでアルペジオを奏でるクリーンギターも、
短いけど存在感抜群のギターソロも、とっても心地よい。
ゲストプレーヤーによるキーボードやサックスの音色も、
過不足ないとはこのこと。
しかしいかんせん、名曲として紹介するには気後れしてしまうほど
曲の構成がシンプルにすぎる。
イントロやエンディングは、まんまサビの派生形で、
小気味よく響くギターソロも、Aメロの発展形にすぎない。
つまりはこの曲、Aメロとサビしかない。
Bメロもなければ、大サビとも呼ばれるブリッジもない。
極端なことを言えば、Aメロとサビを3回繰り返して終わり、
といってもいいほどの潔さだ。
だけど、シンプルなことで、TUBEのいつもの暑苦しさが
低減されているのもひとつの事実。TUBEにしては出色の爽やかさだろう。
いくらTUBEが「夏の風物詩」に数えられるほどのバンドだとはいえ、
暑苦しいのは嫌だからね。ただでさえ夏は暑いというのに。
バンド名が、中国名で「夏之管」と表記されてしまったのもダテじゃない。
TUBEが冬にツアーをするときは「冬でごめんね」なんて銘打って活動するのも
彼らが夏の風物詩以外の何者でもないことの裏返しだろう。
先に挙げたアホ俳句はともかくとして、
TUBEを夏の季語として詠んだ俳句だって、絶対いくつもあるはずだ。
さて、前述のようにこの物語の舞台は6月。
夏は夏でも梅雨時だ。
うんざりするような陽気に、主人公の気持ちは早くもはじけるような夏に焦がれ、
ウワの空に、心はもう程よく夏にどっぷり突入してしまう。
「♪空と海のハーモニー 灼けつく陽射し」も
「♪涙交じりの渚で 月夜に寄り添うムード」も
どれもこれも、夏休みというキーワードに導かれた妄想物語に違いない。
だってまだ6月だし。
いくら何でも早すぎるために、可能性が広がって妄想はエスカレートする。
今は影も形もないと思われる恋人とのアバンチュールだって、可能性はなくはないし、
歳を取ったって、夏休みが魅力的に違いないと飛躍する。
いわゆる「夏休み」があるのは、学生のうちばかりなりとはつゆ知らず。
まだ6月だというのに。
冬だって、梅雨時期だって、いつだって夏の体現者となりえるすさまじさ。
ここで一句。
なんどきも 季節巡らぬ そはTUBE
こんな真冬(これ書いている時点で1月初旬)にTUBEの曲をとりあげる
オイラもオイラだが。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
春一番
立春(年によって異なるが、2月4日ごろ)過ぎて初めて吹く南風。
大陸に居続けた冬の高気圧が勢いを弱め、やがて高気圧と低気圧が交互に現れるようになり、
移動性となった春の低気圧が日本海を進むようになったころ
低気圧に向かって吹き込む暖かい風。気象庁が公式認定する。
キャンディーズの『春一番』(1976年/ by)に限らず
春の到来を告げる言葉で、夏に結び付けたのは後にも先にもTUBEだけだろう
心も程よく
最初はこの部分、なんて歌っているのかわからなかった。
心も程よく夏、というフレーズがしっくりこなかったからかもしれない。
「程よく」とは、ちょうどよく、都合よくという意味なので、
心がちょうどよく夏になる、心が都合よく夏になる、というような意味になる。
心が夏・・・?と疑問に思うが
心の中が夏の気分になると考えれば納得?だろうか。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット
※該当曲を聴ける保証はありません。
脚注
*1:文字数や韻を踏む形式にとらわれない文章のこと。逆に俳句のように5・7・5の字数制限などがある定型になっているのもを韻文という