「困るんだよな、こういうの。」
いかにも嫌味な上司が言いがちな感想を持ってしまうほど、困る。
なにが困るって、そりゃぁこういう、さりげなくていい曲ってのは、
言葉で説明がつけられないから、本当に困るのだ。
もう、聴いちゃって聴いちゃって。
いちいちオイラの駄文なんか読んでからじゃなくていいからさ。
陽水のボーカルが始まった瞬間から、世界に引き込まれるから。
天にも昇る気持ちとはまさにこのことだろう。
「I Love You」
その魔法の言葉を唱えるだけで
街は、輝かしい未来に向け突っ走り、
星は、はじけ飛ぶように夜空に輝きだす。
懐かしい旋律、散りばめた宝石、憧れの記憶 ・・・
それらすべてが、まるで自分を祝福しているように感じてしまう。
そんな目まぐるしくうつりかわる、狂想曲。
井上陽水の紡ぎだす、意味よりもイメージ先行な言葉の数々が
恍惚たる愛の世界を、きらびやかな白昼夢のように描き出す。
翻って現実にぐぐいと引き戻す。
個人的に気になるのは、この曲に関する情報の少なさだろう。
シングルのみの発売で、アルバム収録曲じゃないという側面もあるのだろうけど、
ライナーノーツ*1を見る限り、シングルにも、ベストアルバムにも、
歌詞のみの記載で、クレジットがあるのは、
作詞・作曲の井上陽水と、編曲の毎度おなじみ星勝の二人のみで
参加ミュージシャンの記載は一切なし。
Wikipediaに至っては、この曲の項目すらない*2始末。
冒頭で述べたように、非常に言葉にしにくいのは確かだとしても
これだけの有名曲において、ネットで取り上げる人も少なく、ちょっと異常な気がする。
サウンドはいかにも「80年代」の、「オシャレな音」で、
人の息遣いや汗臭さを感じさせない音作りになっている。
現代感覚では、ひょっとすると打ち込みによる自動演奏なんじゃないか?
と思わせる音がそこかしこに見られる。
プロミュージシャンによる、寸分の隙も無い完璧な演奏なのか、
当時まだ「新しいもの」の範疇だった、コンピューターをメインにした演奏なのか。
ザ・ミュージシャン の雰囲気の濃い井上陽水と星勝のコンビが
前者を選ぶとは思いにくいのだが・・・音だけ聞くと後者の気がする。
バックコーラスは、まんまGeneralMIDI規格に見られるような
機械的な「Aah」音と「Ooh」音で、その疑惑に拍車をかけているが、
ホント実際のところどうなのだろう。
果たして?
その答えはいまだにヒントも見つけられずにいる。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
ラプソディー
曲調や曲想が目まぐるしく変化する自由形式の曲のこと。
以前『東京ラプソディー』の回でこのことにはふれているので、
くわしくはそちらをどうぞ。
songs20thcentury.hateblo.jp
瞳をとじて
ちょくちょく見かける表現だけど、変な言葉だよな
眼じゃなくて瞳をとじるということは、
まぶたを閉じる、まばたきをするのではなく、
黒目の部分、つまりは瞳孔をとじるということ。
むやみに明るいフラッシュにしてやられない限り
人間様にはこのような芸当は困難だろう。
そんなことができるのは、猫じゃなければ目玉のオヤジくらいなもんだ。
ジャンボリー
Wikipediaの記述によれば、ジャンボリーとは
”19世紀に出現したアメリカの俗語で、「賑やかな宴会」”
とのことだが、陽水含む世代におけるジャンボリーといえば
「中津川フォークジャンボリー」だろう。
野外フェスの世界的な先駆けともいわれるイベントだそうで、
昔、親に連れられて会場の椛の湖に行ったことがあるが、
往時の状況を記した、朽ちかけたような立看板を見ても全くピンとこず、
あとから日本歌謡史をたどるようになってから初めて
ああ、あそこがあの、と思い至った。*3
こんな山の中でそんな大きなイベントが開かれたことが
にわかに信じられないような静かなところだったが、
いまでいうフジロックの会場と同じようなものだと思えば、
まあ、そんなモンかなとも思う。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
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※該当曲を聴ける保証はありません。