幾重にも重ねられ、ぶアツい壁をつくり上げるギターサウンド。
そのアツさ(厚さ・熱さ・篤さのトリプルアツさ)に包み込まれながら、
しっとりと歌い上げられるボーカル。
そのどちらにも強い違和感を覚える。
これってなんかいつもと違う。
相川七瀬の楽曲といえば、表題曲以前に限らず、以後においても、
『Break Out!』(1996年/ by
)
『夢見る少女じゃいられない』(1995年/ by
)
『彼女と私の事情』(1998年/ by
)
などに代表されるように、まるで、
「過去に鳴らした音はいらない。必要なのはこれから鳴らす音だ」
なんてカッコいいことを考えているんじゃないかと思えるくらい、
残響音や余韻なんか残してやるものかという信念が感じられる音、
と言ったらいいんだろうか。
よく言えばクール、悪く言えば厚みがない、
隙間の多い打ち込み風のサウンドを主体としている。
そこに、勝ち気で威勢がいいが、線の細い少年のような声質という
絶妙なアンバランスさを持ち味にしたボーカルと、
唯一これだけは生き生きとして、ご機嫌に吠えまくるたった1本のギターが重ねられている。
そんな楽曲の印象が強かった。
そして、これら楽曲のタイトルを見ても、その潔さがわかると思う。
一番曲のアクセントになる部分のフレーズを切り取っただけの、なんのヒネリもないタイトル。
素材の味を追求したシンプルイズベストだ。
そんなだから、まるっきり正反対にあるようなサウンド志向を持つ
表題曲『恋心』には「異端児」のような印象を持っていた。
タイトルはいつも通りの直球勝負だが、それ以外の印象がまるで異なる。
あぁ、つまりこれはあれだな。
CM向けに、いつもと違う作曲者やアレンジャーとタッグを組んでやってみたんだな、
別に相川七瀬が歌わなくても良かったやつだよねと。
ところがどっこい、この稿を書くにあたって調べてみたところ、
相も変わらず毎度おなじみの織田哲郎師匠の作詞・作曲・プロデュースであり、
なおかつ異端児どころか彼女の最大のヒット曲だったことを知り、
つくづく自分は見る目・聴く耳・語る口が無いものだと痛感した。

そんないつもと違う、言っちゃ悪いが「普通」のサウンドの中にあって、
異彩を放っているのがそのメロディーライン。
メロディーラインというよりは「節回し」といった方がいいかもしれないが、
自分はこの節回しに、大いに「和」っぽさを感じてしまう。
とりわけ、イントロのギターソロと、「♪恋心 果てもなく今」のサビのボーカル。
その和っぽさとハードなギターサウンドとの相性がすこぶるいいではないか。
この節回しを「フォルクローレ風」*1なんて表現もされているようだけど、
それもなんか違うような気がする。
確かに和っぽさというよりは、民族音楽風、と言ったほうがイメージが近いのかもしれない。
だけどラテン風でもないし?エスニックでもないし?かといってチャイニーズでもない。
なんだかよく判らないが、とにかく知らないうちに
心の琴線に直に触れてくるようなメロディーだ。
それでいて変に情緒を出したりエキゾチックな歌詞にはせずに、
ごく普遍的な惚れた腫れたの内容にしているところがいい。
と、ここで類似曲をいくつか例に挙げてみようと思ったのだが、
どういうわけだかちっとも思い浮かばない。
手持ちの曲を片っ端から聴いてみたのだが、
いざ探してみると全然見当たらないのはどうしてだろう。
いかにもありそうなものなのに。
アニソンとかゲームミュージックのような「企画モノ」には結構ありがちな気がして
そっちも心当たりを探ってみたのだが
ゲームソフト『がんばれゴエモン』のBGMの数々あたりが近いようで
やっぱり遠いようで、結局のところよくわからない。
その中で多少なりとも似たような匂いのするものを
あえて挙げるならば、意外にも
『End Roll』(1999年/ by
)
『Trauma』(1999年/ by
)
『Vogue』(2000年/ by
)
をはじめとした浜崎あゆみの楽曲だったのは自分でもちょっと意外だ。
(それにしても、浜崎の楽曲はタイトルからはちっともメロディーが思い浮かばない!)
あとは、
『宙船』(TOKIO/2006年/ by
)
『雪・月・花』(工藤静香/1998年/ by
)
あたりの中島みゆき提供の楽曲くらいだろうか。
やっぱりピンとこないんだなぁ。
相川七瀬の楽曲の中では、際立ってありきたりの楽曲だという印象を持っていたのに
これじゃあ全くアベコベじゃないか。
さて、折角時間をかけて民族音楽調の楽曲を拾い集めたので、
雑多に楽曲を羅列して、プチ世界旅行に行ってみよう。ここからは完全なる蛇足というやつだ
(ああ、これ絶対際限なく長くなるヤバいやつだ。)
先に挙げた、南米音楽「フォルクローレ」風といえば、ケーナなどの笛の音が印象的な
ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』(2001年/ by
)
KINKI KIDS『ボクの背中には羽根がある』(2001年/ by
※本人歌唱ではありません)
の2曲だろう。どちらも同じ年のリリースなのが面白い。
さて、南米大陸をぐるりと周るように、ボサノバやサンバを聴く。
長谷川きよし『別れのサンバ』(1969年/ by
)
山本リンダ『どうにもとまらない』(1972年/ by
)
シュガー『ウェディング・ベル』(1981年/ by
)
中森明菜『ミ・アモーレ』(1985年/ by
)
The Boom『風になりたい』(1995年/ by
)
ラテンつながりで、大西洋を渡ったスペインの民族音楽「フラメンコ」風の
西郷輝彦『星のフラメンコ』(1966年/ by
)
広瀬香美『Promise』(1997年/ by
)
槇原敬之『Happy Dance』(1998年/ by
)
地中海をめぐって
庄野真代『飛んでイスタンブール』(1978年/ by
)
ジュディ・オング『魅せられて』(1979年/ by
)
島谷ひとみ『市場に行こう』(2001年/ by
)
中東へ進んで、アラビアン風に、
二村定一『アラビヤの唄』(1927年/ by
)
西田佐知子『コーヒー・ルンバ』(1961年/ by
)
久保田早紀『異邦人』(1979年/ by
)
中森明菜『Sand Beige -砂漠へ-』(1985年/ by
)
ああ、やっぱり際限がなくなってきてしまった。
このままインドを回って中国へ行く予定だったが、この辺でやめとこう。
機会があればどこかで続くとしよう。
しかし、やっぱどれも違うな。やっぱ和風なのかな。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
遠く波の音聞こえた気がした
「もう戻れないの?」という主人公の問いかけには返答はなく、
近く寄り添うふたりの間には、波の音が遠くかすかに聞こえるくらいの沈黙だけが流れる。
月が照らし出す行き場のないsilence
やっぱりここでも流れるのは沈黙。
月の光が作り出す淡い影が重なるくらいに近くにいるのに、
心は遠く離れてしまったように感じている。
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