のちに年を経て「美輪明宏」という名の妖怪となるよりも、ずっと以前。
まだ一介の「化け物」に過ぎなかった丸山明宏というシャンソン歌手が繰り出した、
泥臭く力強くも、切なく心温まる渾身の一作。
男どもに混じって、負けじと肉体労働を生業として働く母親と、
家庭環境をはやされ苛められつつも、強く育つ主人公の立身出世を描く。
歌詞にも歌唱にも、とっつき易さや心地よさというものが皆無であるにもかかわらず
このレコードは意外なほどの大ヒットとなったが、
「土方」という歌詞中のキーワードをやり玉に挙げられ、
道徳的な題材にもかかわらず、いわゆる「放送禁止曲」のレッテルを貼られてしまった。
それは、歌唱だけでなく作詞・作曲も手掛けた本人が
今でいうセクシャルマイノリティ、性的少数者という、当時の基準からすれば、
ゲテモノ、イロモノ、キワモノの扱いであったことが一番の原因だったのかもしれない。
ヒステリックに拒絶反応を示さずに、歌詞全体を俯瞰すれば、
これが放送禁止になることが妥当かどうかなんて、一読しただけでわかりそうなものだが、
臭くなりそうなストレートな表現には、メディアが自主的にフタをしてしまうのは
今も昔も変わらない。
現代でいう「コンプライアンス」*1の名のもとに、表現や言葉尻を捉えて
これこそ正義と、寄ってたかって「無かったこと」としてしまった。
例えるなら、漫画・ドラえもんで「のび太のクセに」と苛められたのび太、
まさに歌詞にあるように「♪苛め抜かれて 囃されて」しまった事案に対し
クラスの良心から声が上がって、いじめを禁止、解決に向かったはずが、
思考停止した大勢が、やがて「『のび太』って名前を呼ぶのをやめよう」となり
それが正しいこととされてしまうくらいに乱暴な正義だ。
存在から否定されることが、実は一番ひどい苛めだということを分かっていないらしい。
最初に「土方」を差別用語だと提唱した人には理念があったものと思う。
しかしやがて全体の空気が、差別をすること自体を否定するだけでなく、
土方と呼ばれた対象者すらも条件反射的に否定してしまうようになる。
「土方」って言ってはいけないものだったよね。
あの人の職業には触れてはいけないから、見なかったことにしようね、と。
話を表題曲に戻そう。といっても話題はまだ「土方」のままだ。
この言葉が使用されているのは、差別や偏見などとは全く方向性の違う視点、
それは恐らく「親切心」から来ているのではないかと思う。
誰に対する親切か、それは歌の聴き手に対する親切心だ。
全く聞き馴れない「ヨイトマケ」なる言葉。
いったい何人が、それを聞いて正しく理解・認識できるだろう。
「♪今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守歌」
「♪ヨイトマケの子ども 汚い子ども」
いったいぜんたい「ヨイトマケ」とは固有名詞か何かなのか、
歌い手と同じく化け物か何かの呼称なのか、と全く見当もつかない。
『イヨマンテの夜』*2(伊藤久男/1950年/ by)や
『冬のリヴィエラ』*3(森進一/1982年/ by)並みの意味不明さだ。
そこに「♪働く土方のあの唄が 貧しい土方のあの唄が」と入ることで、
要するに肉体労働者のことなんだな、と察することが出来る。
これを親切と言わずになんと言おう。
道徳心や親切心を、偏見が覆い隠してしまう。ずいぶん損をした歌だ。
そういう自分も、間違いなく偏見からだろう、
「♪母ちゃんの働くとこを見た」と主人公がショックを受けるくだりに対し、
肉体労働者の男たちに対し、母親が色を販いでいる現場を目撃してしまったものだと、
長く勘違いしていたことを白状しておく。
歌詞全体を見ればすぐにわかることなのにね。
ところで当の「父ちゃん」はどこへ行ってしまったのだろう。
「♪父ちゃんのためなら エンヤコラ」で始まる割には、どこにも父の影はなく、
それではなぜ「父ちゃんのため」なのかがまったくもって不明だ。
働く労働者の多くは、家族のため子どものため、作業に勤しむのだろうが、
なぜに父ちゃん。どこ行った父ちゃん。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
ヨイトマケ
「よいッと巻け」の掛け声の転訛と言われるが、正直なんのこっちゃである。
労働現場で、複数人で滑車を巻き上げるときの掛け声だと、もっともらしく言われるが、
そんなタイミングの取りづらい掛け声があるだろうか。
同じく歌詞に現れる「エンヤコラ」のようなリズム感がまるでなく、
「よいッと」では間が抜けてしまう。ボヤッキーの「ポチっとな」*4じゃあるまいし。
「よッと巻け」や「よいっと巻け巻け」であればリズムの取りようもあるが、
「よいッと巻け」では力が分散し、出る力も出ない。
ここはそのまま「ヨイと巻け」の掛け声がそのまま呼称になったと考えるのが妥当だろう。
あるいは、前述の「イヨマンテ」のように、アイヌ語由来だったり、
長野県民謡『木曽節』( by
)に歌われる「ナンチャラホイ」が、
実は梵語(サンスクリット語)から来ていたり*5するのと同様に、
別の言語から来てたりしたら面白かったのだが、そういう説は見当たらない。
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脚注
*1:【コンプライアンス】本来は「法令順守」の意だが、今ではどちらかというと「倫理的」の視点で語られることが多い。「倫理」ほど主観的な見方はないというのに、だれもその法令を無視している加減に気が付かない矛盾がひどい。
*2:【イヨマンテ】アイヌ民族の神事のひとつ。熊祭りともいう。イヨマンテなる儀式が行われる夜、の意。童謡『赤鼻のトナカイ』に歌われる「デモッソの年」のようなもの。
*3:【リヴィエラ】英語でいうと「リバー」。もともとはイタリア語で川の意味だが、フランス南部からイタリアにかけての海岸地方の呼称になっている。
*4:【ボヤッキー】アニメ「ヤッターマン」に登場する、愛すべき好敵手3人組のうち、細メガネの名。彼のボタンを押すときのキメ台詞が「ポチッとな」。現代の「ポチる」の語源はここにあるかもしれない。
*5:【ナンチャラホイ】梵語の経文の一節「ナムアチャラホーエ」から来ているとかなんとか。日本語にすると「盆踊り」だといわれるが、それは意訳が過ぎるというもの。盂蘭盆会に行われるとある宗教儀式の名称のようだ。