いい大人になってから、不良っぽさへのあこがれを持ってしまうと
人の見てくれっていうのは、こうなってしまうのかなぁ。
この頃の長渕剛に対する印象は、まさにそんな感じだった。
「♪好きです好きです心から愛していますよと
甘い言葉の裏には一人暮らしの寂しさがあった」
(『巡恋歌』1978年/ by
)
「♪Oh 順子君の名を呼べば僕は悲しいよ だから心のドアをノックしないで」
(『順子』1980年/ by
)
そんな、ちょっとスネた感じの恋のうたを歌っていた
そこら辺に居そうな線の細めのニィちゃんが、
「♪ぴぃぴぃぴぃ ぴぃぴぃぴぃ ぴぃぴぃぴぃ ロクなもんじゃねぇ」
(『ろくなもんじゃねぇ』1987年/ by
)
あたりで、ヤンチャめな兄ちゃんにイメージが変わったなと思っていたら、
表題曲の頃からマジもののチンピラか、あるいは
堅気だとしてもヤバめな大人みたいになっていき
しまいにはムキムキ不良ジジィになってしまった。
ひょっとすると、その先もさらなる進化がみられるかもしれない。
だからといって、それが悪い、というつもりは全くないし、
この長渕こそが最高だと信奉する人が、かなりの数いるのは間違いなく
そもそも本人含め、これがカッコイイということだ、とやっているのだから
余計なお世話以外の何物でもないとは分かっていつつも、
昔のアナタはどこに行ってしまったの?と問わずはいられない。
何故か。
あれ?いつの間にこんなに変化していたんだろう?
そんなに長い間目を離していたつもりはなかったのに、
気がついたら、以前とまったく違ったイメージに定着していたからだ。
よく考えると、前はこんな人じゃなかったよな?と。
下手に昔のイメージを覚えてしまっているせいで、
変貌ぶりに、ある日ふと気が付いたときのギャップの大きさに
びっくりしてしまったのだ。
高校からプロ野球に入ったころの、初々しかった清原和博が、
巨人にFAで入ったころから、次第にムキムキ・ジャラジャラの
いかついオヤジに変貌を遂げていたのに似ている。
番長キャラに、何の違和感もなく接していたけれど、
よく考えると昔はこんなんじゃなかったよな?
こんなに変わっていたのに全然気が付かなかった!
ある種の強烈なアハ体験*1である。

昔から、このサビの一節にちょっとした引っ掛かりを覚えていた。
「♪死にたいくらいに憧れた 花の都・大東京
薄っぺらのボストンバッグ、北へ北へ向かった」
地図で日本列島の形を見ると、東京は閉じ鍵括弧 ┛ の右下隅
ちょうどカッコが折れ曲がっている場所に位置する。
だから各地から東京へたどり着くには、西日本からは東の果てへ向かうか、
北日本からは南へ南へ行きつくか、どちらかしかないように見える。
日本国内で、一路北上して東京に行きつける地域は、地理的に神奈川県東部くらいで、
そこはヨソの地域から見れば、ほぼ東京同然であり、
神奈川から見る東京は、憧れというよりも、現実的な地続きの場所でしかない。
だから、北へ北へ向かって東京にたどり着くとしたら
伊豆・小笠原諸島くらいしかないじゃん*2、という
つまらん屁理屈をこねることになる。
だから最初は、憧れていたものの「♪ケツの坐りの悪い」東京での暮らしに見切りをつけて、
東京から北へ、北日本方面へ流れていく情景を指しているのかなと
うすぼんやりと感じていた。
歌詞全体を見渡しても、その捉え方を真っ向から否定する要素は見当たらないし、
自らをトンボになぞらえて、憧れだった東京を捨てて
お前は幸せを求めてどこへ流れていくんだ、と自問しているようにも見えるからだ。
そもそも、「北」という言葉自体が、ネガティブな要素を多分に含んでいる。
背後の「背」の字にも「北」の文字が含まれているし、
北という漢字には「逃げる」という意味合いを含んでおり、敗北という言葉もあるくらいだ。
そして、トンボという虫も、害虫を駆除する益虫として重宝されているものの、
死んだ者の魂に見立てられたり*3と、どことなく影のある存在であるのは間違いない。
だから、地理的な屁理屈云々は置いておくとしても、
強烈な憧れをもって向かう先や、幸せの象徴が、
「北」だったり「とんぼ」だったりすることに、違和感があったのだ。
ところが、長渕が鹿児島の薩摩半島の出身であることを知り、
やっぱり、一路北上してたどり着いた先こそが、
憧れの東京だったのだ、と思い至った。
鹿児島から東京へ陸路向かおうとすると、まずは九州を北へ北へ縦断することになるからだ。
福岡から先は方向を変えて一路東上になるが、
出発が北上だから、心理的に一途に北上していると感じることに、決して無理はない。
そういえば、長野県は諏訪に住む友人が、
東京を「南にある」と言っていたことに、すごく違和感を抱いたことを思いだした。
いや、地図見てみろよ。どう見ても東京は東だろう?と。
確かに東京に比べて信濃路は寒いかもしれないけど、緯度的には大して差がない*4だろうと。
標高差による気温差*5の印象と、東京に出るには、いったん南東の甲府方面へ向かうことから
「東京は南にある」という錯覚を覚えたのだろう。
さておき主人公は、故郷に背を向けて北へ向かい、東京へと向かった。
現実的には北ではなく、陽の昇る希望の方角、東に向かっていた。
そんな姿をあざ笑うかのように、
竿の頂では風に正面向かってとまり、
飛び立てば決して後退せず前向きにしか飛ばないトンボという昆虫が、
くじけそうになる主人公の遥か頭上を飛んでいく。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
足音を踏みしめるたびに 俺は俺であり続けたい そう願った
前に進もうとするたびに、障害が立ちふさがる。
あり続けたい、そう願う、と希望を希望で重ね強調しているところに
夢や希望を叶えることの現実の厳しさが見え隠れする。
今日も眠ったふりをする
自分が足踏みをしているのは、今は起きていないからだ
目が覚めたらちゃんとやるさ、という逃避に似た言い訳にすぎない。
薄っぺらのボストンバッグ
何も持たず、身一つで上京した象徴が、このボストンバッグなのだろう。
ちなみに、ボストンバッグとは横長で底が広い手提げカバンの総称で
アメリカのボストン大学の学生が使っていたカバンがルーツだとか。
場所の名前がついたものは、当の現地ではそう呼ばれないのが世の常で、
アメリカではこのカバンのことをボストンバッグということはない。
現在入手可能な音源
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※該当曲を聴ける保証はありません。
脚注
*1:【アハ体験】突然のひらめきで、今までわからなかったことを急に理解すること。ドイツの心理学者が提唱した。脳にいいとされるが、実際のところどうなんだろう。
*2:【伊豆・小笠原諸島くらいしかない】しかもこれらの場所は、行政区分的には東京都だ
*3:【死んだ者の魂に見立てられたり】ちょうどお盆の時期に盛んに飛ぶトンボは、先祖の霊が返ってきた姿だとか、その背に先祖の霊を載せているとか、死者の使いのような言われ方をすることがある
*4:【緯度的には大して差がない】諏訪は「日本一暑い町」埼玉県熊谷市よりも、緯度的には南なのだ。東京よりはちっとは北だが、首都圏というくくりで見れば、決して北ではない
*5:【標高差による気温差】諏訪はスカイツリーの先っぽよりも100m以上高いところにある街だ。一般に100m標高が上がると0.6℃気温が下がるといわれているから、5度近く気温が低い計算になる