いつものように──Macuga Arekey (誰?)
※意味はありません
まったく意味の無い雰囲気だけの上の一文はともかくとして、
『喝采』といえば、コロッケの物まねヅラばかりが脳裏に浮かんできていけない。
ちあきなおみが比較的若く引退した*1からだな。きっと。
それもともかくとして、歌謡曲史上、最も衝撃的と名高い歌い出しがこれ。
「♪いつものように幕が開き 恋の歌 歌う私に
届いた報せは 黒いフチ取りがありました」
華やかな夢の舞台から一転、抗えない現実にぶち当たる衝撃。
主人公は呆然自失として、かつての恋人の葬儀に駆け付ける。
・・・まあ、このシチュエーションは、実際はほとんど有り得ないんだけどね。
というのも、黒い枠線付きのはがき、いわゆる「喪中はがき」は、
あくまで年始の挨拶ができないことを詫びる旨を記した、欠礼通知であって、
死亡通知ではなく、ましてや葬儀のお知らせではありえないからだ*2。
中には、年末差し迫った際に、死亡通知を兼ねて喪中はがきを出すという、
欠礼に無礼を重ねてしまう横着者も決して少なくはないが、
葬儀の通知としてこれを使用することは、ほぼ皆無である。
そもそも、葬儀は予定してできるものではないので、悠長に手紙で通知を行うことが無い。
そんなことしてたらホトケさんが腐っちまうわ。
また、「♪動き始めた汽車に 一人飛び乗った」り、
「♪教会の前に佇み 喪服の私」など、ちょっと異国を思わせるような描写がみられ、
一瞬、これって外国の歌か?と思いそうになるが、
件の黒のフチドリを思い出し、ああそういえば日本だったね、と引き戻される。
いや、別に上げ足を取ろうとしているわけではないのだよ。
これらのシチュエーションは、言葉から得られる印象を
いかに聴き手にビジュアル的なイメージをもって落とし込むことが出来るか、
それを追求した結果であると、あからさまに見て取れるからだ。
黒い縁取りの手紙、
動き始めた汽車に飛び乗る主人公、
鄙びた昼下がりの街、
蔦が絡まる白い壁、
長く伸びる細い影、
暗い待合室、
そして、緞帳が上がり降り注ぐスポットライト。
いかにもな光景をちりばめているからこそ、
眼前にイメージがわき上がってきて、効果てきめんだ。
舞台背景を深く考える方が、間違いなのだ。
ツタが絡まる詩──Roy Carbay (誰よ?)
※意味はありません。字面と音の雰囲気のみお楽しみください
最近、うちのスピーカーがイカレはじめて、左右どちらかの音が消えることが頻繁にある。
それで気づいたのだが、表題曲はどういう志向か知らないが、
左のチャンネルからはドラム・ベース・エレキギターの三つ揃い、
右は、アコースティックギター、オルガン、トレモロ奏法のエレキギター*4と
楽器がくっきりと分かれて配置されており、それらは反対側からは聴こえない*5。
ボーカルとストリングスだけが中央(左右両方)から聴こえてくる。
そのせいで音の分離がいいからか、それぞれの音が妙に独立して聞こえてくる。
ひと気のないチャペルに、厳かに響く讃美歌のように、
オルガンは静謐なたたずまいを見せ、
坦々としたベースやドラムは必要以上に歌い上げることをしない。
ちあきなおみの歌唱は、一抹の寂しさを含みつつも、悲しみに暮れることはない。
淡々と、いや、この場合粛々と言った方がいいだろうか。
劇的な物語と裏腹に、歌唱も伴奏も、さらりと流れていく。
これが森進一あたりが歌っていたら、号泣しながら歌い上げるのだろうが、
感情を押し殺している分、無常感がより際立っている。
似たような題材を扱った『会いたい』(沢田知可子/1990年/ by)が、
「♪低い雲広げた冬の夜 あなた夢のように死んでしまったの」
と直接的に死を告げ、悲壮的な歌唱を見せるのと、実に対照的だろう。
ひなびた街の灯──Rutha Garly (だから誰よ?)
※意味はありません。字面と音の雰囲気をお楽しみいただければ幸いです
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
暗い待合室
教会に棺対面や焼香待ちの待合室があるとは思えないので、
(基督教式の葬儀に参列したことがないので詳しくは知らないが、実はあったりして?)
恐らく場面変わって、帰途の駅での待合室の場面だろう。
どこからか流れてくる、自分の明るい恋の歌を耳にする主人公。
「♪たとえっば わたしっが 恋っを 恋をするっなぁら~」
(『四つのお願い』 ちあきなおみ/1970年/ by※これはザ・ピーナッツによるカバー)
なんかがそれっぽい。
人がうらやむような恋物語を手に入れた自分と、それと引き換えのように
一度捨てた本当の恋を、永遠に失くした自分が余計に対比されている。
鄙びた街
ひなびた、という表現は、意味や言葉自体をまったく知らないか、
「しなびた」と勘違いされているか、どちらかであることが多い。
「鄙びた」とは、田舎じみた、というような意味で、
寂れた、という言葉に近いが、それよりももう少し温かい視線をもった表現だ。
趣のある、レトロな、カントリー調の、という表現の方が
感覚的には近いかもしれない。
だけど、ここでいう「鄙びた街」を今風に言うならば
「パッとしない街」という表現になるんだろうなぁ。
現在入手可能な音源
脚注
*1:【比較的若く引退した】1992年、44歳で夫の死別を機に引退。実質20年ちょっとしか芸能活動していないのはちょっと意外。
*2:【喪中はがき】死亡通知ではない証拠に、いつ誰が何歳で亡くなった、ということは書かずに、「喪中のため年末年始のご挨拶は控えさせていただきます」とだけ書いてあることも少なくない。
*3:【オリコン12週連続2位】『喝采』の1位を阻み続けたのは、16週連続週間1位、2年連続年間1位という異常な記録をたたき出した、宮史郎『女のみち』(1972年/ by)。何がそんなにウケたのか正直不明な迷曲だ。
*4:【トレモロ奏法】マンドリンのように、一定のリズムで小刻みに上下に弦をはじいて音を出す奏法。エレキギターではあまり見ないやり方だ。
*5:【それらは反対側からは聴こえない】正確を期すと、オルガンはサビの最後の部分で多重録音になっていて、その部分だけは反対のスピーカーから聴こえるが、弾いているのが別パートなので、やっぱり同じ音は反対のスピーカーからは聴こえないのだ。