誰でも知っている、当然。
・・と思っていたことが、
ふとした拍子に、実は誰も知らなかったことを知る、
なんてことが時々ある。
それはドラマだったり、漫画、ゲーム、映画、
ファッション、また子供時代の遊びに至るまで
ありとあらゆるところに存在する。
自分の周りでは一大ムーブメントだったはずなのに、
後になって、ほかのコミュニティーで話題に出したところ、
まるでそんな存在自体がなかったかのような、
あっても「そういえば、そんなこともあった気がする」程度の
反応が返ってきて、正直ヘコむ。
シングルジャケット/珍しく自前の写真画像より*1
もしかしたらそういう類のものなのかもしれない。
おそらく、広く世間に最初に認知されたのは、こっちの『落陽』だったはずだ。
というポジションだったのだと思う*4。
しかしいかんせん、二人の露出の多寡の差が大きすぎたのだろう。
次第に、本家でもある拓郎の歌唱の方が認識され、パンダの歌唱は忘れ去られていった。
お世辞にも歌唱力がいいとは言い難い。
終始ダブルトラック*5のボーカルで、サビで力強く盛り上げるわけでもなく、
ただ淡々とメロディーをたどっている。
それがどうしたことだろう。
「賭けるものなどない」日本という国の在り方に反抗し、
仲間とともに反発したり、逃避したりと、時代のなかであがなう若者たち。
そのなかの「さまよう」若者が、再び自分に向き合おうとする。
そんな鬱屈とした叫びを内包した曲を、
何ともソフトに仕上げているではないか。
まるで「あのじいさん」に関する笑い話かのようだ。
もしかしたら、「百名曲」に選ぶことになるうち
もっともマイナーな一枚になるのかもしれない。
しかし何とも言いがたい魅力を秘めている。
もちろん、今の時代、
ネットで検索すれば「同志」はいくらでも見つかる。
山田パンダと、その『落陽』を知る人も大勢見つかる。
それでも、当時からカリスマとして知られ、今なお現役の
吉田拓郎の曲としての評価のほうが高いのが、
正直もどかしい。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
「苫小牧*6発仙台行きフェリー」。
実在の地名を絡めているところは、ご当地ソングの態をなしているが、内容的には、べつに苫小牧である必要も、仙台である必要もない。 名護発鹿児島行のフェリーでも構わないわけだ。
ただ一つ必要なのが、最果ての地から、少しだけ都に近づくという点のみ。振り出し→現実に戻る第一歩といったところか。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
「テープを拾って」
船での出航の時に、船(旅立ち)側と波止場(見送り)側で紙テープ(粘着じゃないやつね)をたがいに持って、ロールがなくなるまで伸ばす習慣*7があった。
船側から、紙の端をもったたまロールを波止場に投げ、波止場側ではその芯をもって、船に引かれるままにテープを繰り出す。テープがなくなったら、つながりが切れる。
紙だから簡単に切れて船の走行に支障をきたさないのだろうが、危険は危険なので現在ではあり行われない。
「サイコロころがし」
ここでいうサイコロの博打は、おそらく「チンチロリン」だと思われる。親が振ったサイコロの出目を予想する「丁半」「大小」などとちがい、自らが振ったサイコロの目で勝負する。
「♪振り出しに戻る」という歌詞があるために双六と勘違いされがちだが、すごろくのような時間なかかるもので博打する奴はあまりいない。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
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※該当曲を聴ける保証はありません。(とくに後者)