甘えるような猫なで声が、歌詞の青さと相まって、
幼さの残る年頃の、恋物語を引き立てている。
男目線の歌を女性がボーカルをとることで、さらに主人公たちの幼さを連想させる。
たぶん、中学生くらいなんだろうな。
「♪友達見つけて離れて歩いた」
男女二人っきりでいるところを、目撃されてからかわれるのが嫌。
なんとも初々しい、そんな年頃。
キャッチ―なメロディなので、老若男女問わず楽しめるけど、
決して当事者である年代向けの歌ではないと思う。
いい大人が、かつての淡い恋心を思い出して、しみじみとするための歌だろう。
だけど、自分がまさにそうだが、
中学どころか高校時代にも、こんな甘酸っぱい素敵な思い出は持っていない。
それでも、こんな憧れのようなものを抱いていた・・・ような気がする。
そう、まさに「遠い夢の中」にだけ存在した、幻の物語*1として。
幻といえば、サビに登場する「打ち上げ花火」。
歌詞をよく読んでみると判るが、実は物語中に、花火は一発も打ちあがっていない。
神社の縁日デートに繰り出した二人。
綿菓子や金魚すくいに興じているだけで、打ち上げ花火を見上げるような場面描写は
どこにもないのだ。
むしろ、人混みから離れた石段で
派手な打ち上げ花火の対極にあるような、地味な線香花火を楽しんでいる。
派手に咲いて、パッと散る、余韻だけが残る想い出の象徴として
打ち上げ花火という言葉が使われているに過ぎない。
ところで、主人公は
「♪好きだって事が言えなかった」ことを悔やんではいるが、
そんなことを言わなくても、ちゃんと相手には伝わっていたと思う。
だけど、言葉に出して伝えることが出来なかったから
そこから先に進むことがなかった。
そんなことも解らないくらいの、若かりし日の想い出。
結局成就しない恋に終わったようだけど、こういうのは、
正直、羨ましくて妬ましいというやつだ。
そんなときにかける言葉はただ一つしかない。
このリア充めが!
名曲・聴きドコロ★マニアックス
よく知られている通りこの曲はカバー曲で、オリジナルは、
「♪あなたが私にくれたもの、キリンが食べ残したピラフ」で有名な(違う*2)、
ジッタリンジン。 by/1990年
世の常として、シンプルなオリジナル曲に対し、
差別化の意味も込めてしっかり作りこむアレンジで聴かせるのがカバー曲の常であり、
結果として迎々しくなってしまう傾向にあるために*3、
オリジナル・カバー双方を知る人には、
オリジナルの方がいいという意見が多く見られがちだ。
しかしこの曲の場合、
ジッタリンジンのオリジナルが、あまりにもシンプルすぎて*4、
whiteberryのカバーが、普通にシンプルさを売りにしたような佳曲になっている。
そのあたりが、この曲が大成した要因のひとつではないかと思っている。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
浴衣姿 がまぶし過ぎて
正直、音だけで聴いているうちは、ここの意味がさっぱり分からなかった。
カマブシだか、ガマブシだか、
そんなようなものの横を通り過ぎているのか、
かまびすしい*5のように
なんだかよく判らないけど粋な言葉だと思っていた。
歌詞を見て納得。浴衣姿が、眩しすぎて。
離れないで、出しかけた手を ポケットに入れて握りしめていた
手をつなぐきっかけを模索していた主人公。
人混みの中、はぐれないようにという口実で
手をつなごうと考えたが言い出せず。
結局、ポケットの中から出せずじまい。
現在入手可能な音源
やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット
※該当曲を聴ける保証はまったくありません。
脚注
*1:【幻の物語】中高生の頭ン中なんて、ほぼ妄想だけで構成されている。年取っても、そこはそんなに変わらないのかもしれないが。。。
*2:【キリンが食べ残したピラフ】正しくは、「♪あなたが私にくれたもの キリンが逆立ちしたピアス」の『プレゼント』(1990年/ by)。ピラフが出てくるのは嘉門達夫の『替え唄メドレー』(1991年)
*3:【結果として迎々しくなってしまう傾向にある】逆に、セルフカバーと呼ばれる、楽曲を提供した作者が後から自分でカバーするものは、シンプルなものになる傾向がある
*4:【ジッタリンジンのバージョンが、あまりにもシンプルすぎ】デモテープ音源か、ミニライブ音源か、はたまたオーバーダビング前のベーシックトラック音源か、と錯覚するようなシンプルさ