訥々と語るセリフからは、夢見るロマンチストを気取っているのかと思いきや、
実はすべて、主人公の現実逃避の言葉であることに気づいてからは、
いったい彼に何があったのか、気になってしょうがなくなってしまったのだ。
この主人公、とにかく明日が来るのが怖くてたまらないらしいのだ。
何があったんだろう?何をしでかしたんだろう?
想像しだすとなんだかとっても笑えてきてしまう。
たぶん真面目な歌なのに。
「♪名も知れない花になって 風に吹かれたい」
「♪走りまわる風になって 花びらを舞わせたい」
「♪深く青い海になって 雲を映したい」
「♪鯨のような雲になって 海を渡りたい」
自由を夢見る若者って感じ?自然回帰的な願望だよね
メロディーもとっても爽やかだし、アコースティックな演奏も好感が持てる。
だけどこれらの願望の間に挟まれる言葉の数々には、
具体性はないが不穏な空気が漂う。
「♪今日も取り返しのつかない過ちをひとつ犯し」
「♪僕の笑顔はどう見ても許されない」
「♪導火線に火のついた約束がすぐに迫って」
「♪僕は過ちをひとつ またひとつ積み上げる」
ここから見えてくるのは、
嘘に嘘を重ねて、嘘を隠すためにまた嘘で塗り固め、
とうとうやばいところまで来てしまった主人公の姿。
まだ何も書き込んでいない、新しい1ページ。
主人公はここに正直な自分を書くこともできたはずなのに、
今日もまた自分で自分に嘘をつき、嘘で塗り固めていくことになる。
ついには、明日にもバレるは必至の状況に陥る。
「明日の行方」なんて洒落た言い回しをしているけども。
何かやらかし、明日決定的な破局を迎えるために、
「♪明日の行方など怖がらない」
花や、風や、海や、雲になりたがっているのだ。
のび太みたいにドラえもんもいないので、もはや逃避するしかない。
例えばどんなことをやらかした?
既婚者のクセに、未婚を装って付き合った相手との結婚話が具体的に進行してしまい、
さんざん嘘で取り繕った挙句に、にっちもさっちもいかなくなった挙式当日、
式場に火を放ってうやむやにしようとした男が現実にいたよな*1。
そんなちっちもさっちも行かない状況か。
それに比べれば、ただ心の中で現実逃避しているこの主人公の方がましというのものだ
過ちのパートと逃避のパートを繰り返して、何の結論もないまま曲は終了する。
ノストラダムスみたいに、途方もない嘘は、
期限を自分のいなくなった後にしておかないと。
ふとここで、どっかで見たことあんだよなー、と
上のシングルジャケットを眺めていると、
イギリスのロックバンド・オアシスのオマージュだということに気づく。
あからさまなロゴの感じといい、
彩度を落とした写真といい。まんまだよな。
こういうのをパクリと言ってしまえば
それまでなんだけど、
オマージュとか、パロディーとか
パチもんとかリスペクトってのは
案外線引きが難しく、
される側と、それを目のあたりにする側に、
どれだけの寛容力があるかにかかっている。
パロディーってのは、元ネタがわかっていて
初めて成り立つもので、
元ネタには知名度が求められるがゆえに、
当然としてバレバレである。
それゆえに、本来第三者が目くじらを立てるようなシロモノではなく
ひとえにパロられた側の寛容度にすべてがかかっている。
モノマネ、ってのもパロディひとつで、
ひとつの芸として成り立っていることからも、それがわかる。
パクリとかパチもんっていうのは、要するにニセモノであって
本物の権利を脅かす存在であれば、それは排除される必要がある。
そういや、昔うちに「HITACCHI」というパチもののロゴが付いた製品*2があった。
これを「ハイタッチ」と読ませているのを説明書で見つけたときに
かなりのパロディーセンスを感じたが、
ロゴがHITACHIとほとんど区別できないのがいけない。
なかなか良くできていて、今思えば捨てなきゃよかったな。
一番線引きが難しいのが、オマージュやリスペクトってやつ。
主な目的としては、同じ嗜好をもつ仲間に向けた
わかる人だけにわかる内輪ネタみたいなもんなんだけど、
まかり間違って本家よりも有名になってしまうと、
本家の方がニセモノ呼ばわりされて、やった側にも大変面白くないことになる。
それが、現代社会においては、目のあたりにする側、
つまりは第三者側の寛容度が皆無に近くなってきており、
パロディーと、偽物と、オマージュの区別もつかないままに
やれ盗用だのパクリだのと、全体を見せずに一部分の対比を行い、
重箱の隅をつつきまわしたうえで、
全く知りもしない人間を、雰囲気だけで巻き込みつつ
(これが一番の問題点。意見を言うこと自体は悪いことじゃない)、
関係ないのに撤回と謝罪を強要し、寄ってたかって袋叩き*3にしてしまう。
この線引きによる論争ってのは、Macintoshに対するWindowsとか、
『ハイサイおじさん』(喜納昌吉/1969年/ by)に対する
『変なおじさん』とか枚挙にいとまはなく
昔っから「元祖」「本家」争いっていうのはつきものだしな。
しょうがないんだけどな。あ~なんか違うかな。
人は見慣れないものに触れたときに、無意識に自分の知っているものとの
類似性を探そうとしてしまうらしい。
だから、知り合いの家族を見たりすると、ああ、誰それとどこそこが似ているね、
という感想を持つらしい。大して似ていなくても。
・・・いや、なんの話だ!
この曲はパチもんでもなんでもなく、本物だぞ?
これじゃあ、何かのパクリだって言っているみたいじゃないか!
違うぞ、断じて違う。変な空気になって本当にスマン。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
あてがわれた場所
リボンで結ばれた包みの中
今自分がいる場所が、不本意であるということ。
自分ではない誰かに決められた場所に自分がいる。
頂上の見えない白い階段の手すりを伝わって駆け上がるけど
「伝わって」は「伝って」の誤用だろうか。
ともかくも、不本意ながらも今自分がいる場所が、
決して未来につながらない場所ではなく、
目的への地続きの場所であるという自覚はあるらしい。
じゃあ、なんで逃避しているのだろう。
何となく一時的に嫌になっただけなのだろうか。
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