流行を取り入れた歌詞が、時代とともに早々に廃れてしまうことは
『洒落男』(1929年/二村定一)の回で触れたとおりだが、
この『銀座カンカン娘』はというと、驚くべきことに
一語たりとも死語というものがないように見える。
「カンカン娘」という造語
ーーおそらくはイマドキの若い女性たちの総称として名付けた、
特にこれといった意味のない雰囲気名称と思われる*1ーーはともかくとして、
それ以外登場する語句は、今でも普通に使用されるものばかりだ。
言い回しに文語調の古めかしい表現が見受けられるが、
なに、映画や小説に限らず、現代の物語でもそんな表現はいくらでも残っている。
登場するカンカン娘たちのしぐさにしてもそうで、
赤いブラウスにサンダル履きといういでたちで、
時計を気にする女の子や、
雨に降られたが傘がなく、いっそ雨を楽しむことにしたらしく靴まで脱いだ、
はねっかえりの女の子*2、
大人に小馬鹿にされたことに対し、威勢よく相手をまくしたてメンチを切る
翔んでる女の子*3、
ひとつのグラスにストローを2本挿して、
額をくっつけるようにカルピスを飲むバカップル*4。
現代の姿にあてはめてもさほど違和感はない。
決して時代を超えた普遍的な光景をうたっているわけではない。
どちらかというと、当時の流行が消えずに残り、
のちにスタンダードとなった、という結果論になると思う。
カルピスも然り。1919年生まれのこの乳酸飲料が、
100年たっても現役だと想像した人が当時どれだけいただろう。
さて、この曲は
緩やかなカーブを描く階段を、軽やかに駆け降りてくるように
音階を下降するメロディからスタートする。
意外というよりは、むしろ当然という思いもするが
こういう曲はすごく少ない。
「もりあがる」という言葉があることからも自明だが
キャッチーな曲を作ろうとすればするほど、
だんだん音階が上がっていくのが当然の成り行きで、
下降するメロディーでのスタート、というのは選択肢になりにくいのだろう
下降するメロディーといって真っ先に思い出すのが、
「♪セロリー 鼻からギューニュ~」の『トッカータとフーガ』
(J.S.バッハ/18世紀/ by) だろう*5。
この事実だけでも、流行歌には適しないことがうかがえそうなものだ。
日本のヒットソングで思いつくものといえば、
『Joy To The Love』(glove/1995年/ by)
『Bye For Now』(T-BOLAN/1992年/ by)
『雨』(三善英史/1972年/ by)
くらいしかとっさには思いつかない。
『銀座カンカン娘』も含めて、ふわふわと浮遊感がただようような、
不思議な響きを持った感じの曲ばかりになっているのは
偶然ではないだろう。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
ままよ銀座は私のジャングル
「♪こんにちは赤ちゃん私がママよ」
(『こんにちは赤ちゃん』(梓みちよ/1963年/ by))の
「ママよ」ではなく、
「ええい、ままよ!」(なるようになれ の意)というセリフでおなじみの 「ままよ」。
そのまま、とか、わがまま、とか、ありのまま、ままならない、とおなじ「まま」。
「まんま」、ともいうね。
変わらず自然な状態であること。
渋谷の街は自分にとって日常の空間で、ちっとも怖いところではないということ。
騙されまいぞえ
歌詞見るまでこんな古めかしい言い回ししているとは思わなかった。*6
こうは歌ってないよね?
ともかくとして、「まいぞ」は、行わないことを念押しする言葉。
言うまいぞ(言ってはいけないよ)、のように使う。
さいごの「え(へ)」も強調の句。
まったくなじみのない言葉のように聞こえてしまうが、
実は「ぞえ」が縮まったものが、 関東弁の「ぜ」で、
現代の表記では「騙されないぜ」と書き、発音すればなじみがいいだろう