表題曲の前年にも、『ロックンロール県庁所在地』(1992年/ by
)という、
タイトルからしてイカレた楽曲を本人の作詞・作曲で発表*1しているくらいなので、
森高千里は、おそらく地図・地名のマニアの類なのだろうと推測する。
九州出身の本人とは、ほとんど接点のない北関東という場所にもかかわらず、
地図でみつけたという川と、それに架かる橋の名前から着想を得て
シングル曲を作ってしまうのだから、筋金入りというやつだ。
渡良瀬橋。
栃木県足利市を流れる、渡良瀬川に架かる橋。
幹線道路でもなんでもない、こんな地元民しか利用しないマニアックな橋は、
学校で使う地図帳などで見つかるようなメジャーなシロモノではない。
この曲で脚光を浴びる前は、地元民でも正式名称を知らないような橋*2だったようで、
紙の地図と、文字通りの口コミしかなかった当時においては、
この橋にたどり着けた時点で、かなりの好き者だと断言してよいと思う。
そんなきわめてローカルな地名をモチーフに、
かつて破れた恋を懐かしむ歌詞を作り上げたのだが、
そんなことよりも個人的には、表題曲に限らず森高の作る歌詞には、
どうしても引っ掛かりというか、抵抗感が付きまとってしまう。
「♪渡良瀬橋で見る夕陽をあなたはとても好きだったわ」
というような女言葉が、どうにも居心地が悪いというか、
聴いている行為すら、照れくさくなってしまうのだ。
こういう言葉遣いの人間が、身の回りに居なかったせいもあるかもしれない。
「♪人生だわ これも巡り逢いなのね」
(『気分爽快』1994年/ by
)
「♪遠い街ならあなたのこと 想い出に出来そうだわ」
(『風に吹かれて』1993年/ by
)
「♪傘も差さず ふたり黙っているわ」
(『雨』1990年/ by
)
「♪とても心配だわ あなたが若い娘が好きだから」
(『私がオバさんになっても』1992年/ by
)
これがもっと古い曲であれば、そういった歌詞もしばしば散見されるので、
不思議と違和感なく聴けるのは何故だろう。時代背景だろうか。
作詞家によるお仕着せの言葉ではなく、
本人作詞の言葉遣いである点が意外と大きいのかもしれない。
森高以降に「だわ」「わよ」なんて女言葉遣うシンガーソングライターなんか存在しない
・・・という感じに話を進めようと、意識して聴いてみたら
Judy And Mary が 『自転車』(1995年/ by
)で
「♪あなたの声が響いてる 響いているわ」とこともなげに歌っていて、撃沈。
探してみると他にも結構あるんだよな。TUBEとか。(それはちょっと違う)

そんなこんなで曲を聴き進めているうち、
間奏で流れるリコーダーのチープな音にズッコケそうになる。
これは森高本人による演奏とのこと。
ひとつひとつの音符を丁寧に拾っていくような森高の歌唱に
近い響きといえば、たしかに近いのだが、
曲調からすると、前奏でも聴けたフルートでよかったんじゃないかと。
そう思えてしょうがないが、練習する間が取れなかったのだろうか。
リコーダーと同じような手軽な楽器で、素朴な音が欲しければ
オカリナやパンフルートとかの方がよかったんじゃないだろうか。
そもそも、本人が演奏する必要もないように感じるが、
まぁ、それこそ余計なお世話だわな。
ちなみに、ドラムスとピアノも森高本人の演奏とのこと。
このドラマー出身という妙な経歴を持つアイドルにとっては、
ここへ来てようやく、本人の我が通せるくらいのポジションを得たのだろう。
実に安定したドラムさばきを聴くことが出来る。
(危なっかしいリコーダーとは大違いだ)
同じように、ドラマー出身のシンガーであるカレン・カーペンターが、
カーペンターズが世界的ヒットを連発するにつれ
徐々に演奏から遠ざけられてしまったのとは対照的だ。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
渡良瀬橋
本家の渡良瀬橋は、もっと上流、かつての足尾町渡良瀬にある。
のちに下流の足利市に架けられた橋が、
おそらくは渡良瀬川にかかるからという単純な理由で
渡良瀬橋と名付けられ、表題曲の舞台になったようだが、
同じ川の別の場所に、同名の橋があっても特に問題にはならなかったのだろうなぁ。
どっちも街道筋でもなんでもないローカルな橋だし。
渡良瀬川
かつて、渡良瀬川といえば田中正三だろ、と口にしたところ、
森高ファンの友人ひどく怒られたことがある。
ちなみに、本稿の森高千里像はその友人の影響にあるところが大きい。
そんなコに教育した覚えはありません!と言われてしまいそうだが。
それはそうと、田中正三とは、渡良瀬川流域で発生した、
日本で最初に問題になった公害事件を世に訴えるために、
明治天皇に直訴状まで出した国会議員だ。(直訴は未遂に終わったらしい)
小学校の時、道徳の授業でこの話を知ったが、
担任からの、田中正三と彼の行動についてどう感じたかという動議に対し、
最期の所持品が、わずかな身の回りの品と小石だけだったというその生きざまに
クラスとしての結論として
「遺品が『お気に入りの小石』である人間がまともであるはずはない」
という意見で押し通してしまったことを覚えている。
今思えば、先生には悪いことをしたものだ。若い先生だったものなぁ。
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