ひとの持ち歌を歌うことを「カバー」という。
レコードにかぶせて歌うから、カバー。
つまりは、カラオケのイメージ。
・・だと思っていたが、どうも違うらしい。
英語で"cover for ××"(××は人を指す) で、「××の代わりを務める」
という意味から来ている表現だそうで、要するに代役のこと。
なんだリメイクだと思っていたら、スペアだったか。
しかし、そんな本来の意味通りの代役や、
だれもが認める名曲を××が歌い上げる・・・というようなカラオケ状態のものではなく、
カーペンターズの数々のヒット曲のように、無名に近い曲をヒット曲に育て上げたカバー*1、
もしくはそれなりに知られた曲ではあるが、
ひと味加えることで、絶品にして新たな生を授けたカバー、
そんな、「ナイスカバー!」と見当違いな掛け声をかけたくなるカバーのひとつがこれ。
研ナオコの『夏をあきらめて』。
オリジナルはご存じサザンオールスターズ。
当時のサザンはメジャーというよりは、イロモノ、キワモノ扱いに近く、
この曲ももともとはアルバムの片隅にある、
いわば知る人ぞ知る通好みの曲、という感じのものだったようだ。
それを時を置かずして研ナオコがカバー*2して一躍脚光を浴びさせた。
ところが、現代ではこの評価がすっかり逆転してしまっているように思う。
『夏をあきらめて』は、ベストアルバムにも入っているサザンの名曲の一つで、
研ナオコがカバーしていたことでも知られている、という感じで。
また、曲の出来はサザンのほうが上だよね、という評価だ。
なぜか。
新進気鋭の若者に向こうを張って、第一線で活躍し続ける者と、
メジャーシーンからは距離を置いて、マイペースに活動を続ける者の差もあるのだろうが、
なにより研ナオコの残しているこの曲のレコードが、いまいち良くないのだ。
キーの違いだけで、編曲というより採譜に近いカラオケ状態なのはともかくとして、
桑田の歌い方を意識しすぎてか、ブレ気味でかすれた味気ないボーカルになっている。
もっと、しっとりと、けだるく、味のある歌唱のはずなのに!
こんなはずはないと以前から、再録のレコードがないか探しているのだが見つからない。
研ナオコ本人はこの歌唱を気に入っているらしいので、たぶん再録する気もないのだろう。
YOUTUBEなどで、当時のスタジオライブものを聴くしかないのが実に残念。
ナイスカバー?
この曲に限らず桑田佳祐による歌詞は、その日本語遣いの独特さでも知られるが、
歌詞中に現れる「あきらめの夏」という言葉のチョイスが
この曲のひとつのアクセントになっている。
曲のタイトルが、一般的な言い回しである『夏をあきらめて』になっているのに対し、
歌詞に現れるのは、微妙にニュアンスの異なる、「あきらめの夏」。
「あきらめ」という名詞化した動詞を使い、
意味や用法からして、この表現は果たして日本語として正しいのか、と
ちょっとした引っかかりを覚える表現が心憎い。
さらりとスルーしてしまう表現より、引っかかりを覚える表現のほうが
心に引っかかるのは、当然だろう。
あぁあ、ごめん。ここで無性に話題を脱線したくなってきた。
急に催してしまったような表現で申し訳ないが、
半ば生理的な衝動に近いので、ここはもう思い切り脱線してしまおう。
興味のない人、ついてこれなさそうな人は途中からでも**印のところまで離脱して頂戴ね。
さぁ。脱線するぞぉ。
日本語の動詞の名詞化。
英語でいうところの、動詞に-ingを付けた「動名詞」に類するものが
教科書には出てこないけれど、実は日本語にも存在する。
~ingは、日本語訳として「~すること」と訳されることが多いが、
そんなまどろっこしい表現よりも、もっと近しい表現が日本語には存在するのだ。
具体例を挙げたほうがわかりやすいと思うので
1番の歌詞に登場する動詞を片っ端から名詞化してみよう
動詞 (終止形) | 名詞化形 | 用例 | |
---|---|---|---|
響く | → | 響き | 歌声の響き |
近づく | 近づき | お近づきになる | |
遊ぶ | 遊び | ごっこ遊びをする | |
破れる | 破れ | 理論に破れが生じる | |
濡れる | 濡れ | ずぶ濡れになる | |
揺れる | 揺れ | 横揺れがする | |
舞う | 舞い | 剱の舞いを披露する | |
諦める | 諦め | 諦めがつく |
このようにほとんど例外なく、
動詞は文法上の「連用形」と同じ活用語尾(送り仮名)を付与することで、
いとも簡単に名詞化する*3。
意味は「~すること」。まさに動名詞。
皆知らず知らず使っているが、古くからある文法外の表現だ。
また、名詞化する際には送り仮名が消失する傾向があるのも一つの特徴。
「響」、「舞」のほかにも、
「祭」、「話」のように、
むしろ送り仮名を付けないほうがしっくる物も多い。
現代国語ではこの送り仮名の省略は正式ではないとされているが、
昭和の時代まではむしろ日常的に使われた表記だ。
逆に、送り仮名を付けない「響」を「ひびき」と読むことはあっても
「ひびく」とか「ひびけ」とは読まず、
かならず連用形の送り仮名を付けた読みになる。
「申込先」を何の疑問もなく「もうしこみさき」と読めてしまうのは
このためだ。
(脱線完了。離脱ポイントに戻ります)
**********
主人公たちは、夏を楽しむことをあきらめてしまったのだろうか。
寂しげな曲調から、別れをも意識してしまうが
むしろ歌詞はもっと前向きだ。
「♪Darlin' Can't you see? I try to make it shine.
Darlin' Be with me, Let's get it to be fine.」
ダーリン わかるかい?僕がなぐさめてあげるよ。
ダーリン 僕と一緒にいよう。一緒に楽しもうよ。
夏も終わりになってしまったが
ようやく、楽しみにしていた海にやってきた。
だけどあいにくの天気で、イケイケの水着もお預けのようだ。
誰かが僕らの仲をうらやんで意地悪しているんだよと、
慰めにもならない声をかけるけど、
今年の海は、時期的にこれが最後だと思う。
空模様につられるように不機嫌になっていく彼女。
なんとかご機嫌を取ろうと、彼氏の空回り気味な孤軍奮闘ぶりが
むなしくも目に浮かぶ。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
Pacific Hotel
のちにサザンが『Hotel Pacific』(2000年/ by)でも歌っている、
神奈川県茅ケ崎市に実在したリゾートホテル。
個人的には中学生のころ、部活の連中と一緒に茅ケ崎の海へ行ったときに
ここがあの、、という感じで教えられた記憶があるが
建物自体は全く記憶に残っていない。たぶん興味がなかったのだろう。
腰のあたりまで切れ込む水着
彼女の後姿を見てからの一文なので、
おそらくは背中が大きくあいたワンピースタイプの水着だろう。
脚方向が腰近くまで切れ込んだ「ハイレグ」が
水着に登場しはじめるのは、この曲よりももうしばらく後になってからのこと。
岩陰に幻が見えりゃ虹が出る
幻は太陽だろうか。太陽が出れば虹も出ようモノだが、幻なので虹は出ない。*4
岩陰は『チャコの海岸物語』(1982年/ by) でもおなじみの
茅ケ崎名勝、烏帽子岩だろうか。
江の島が遠くにぼんやり寝てる
「寝てる」という表現が面白い(出てる、だと思っていた。)
さして遠くもないはずの江の島が、はるか遠くかすんで見える上に、
力なく横たわっているようにも見え、なんとも気分もダダ下がり。
現在入手可能な収録CD/視聴可能
やっぱ生で聴きたい人は、ライブ・イベント情報&チケット
※該当曲を聴ける保証はありません。