世界の広さと、地球の鼓動が感じられるような、
雄大で、のびやかな旋律と、希望をのせたメッセージ。
こういう歌がヒットチャートに乗らなくなって、
もうずいぶん経つように思う。
というより、それは一過性のブームだったのかもしれない。
ジャンルを表わす総称*1が名付けられなかったことが原因かもしれないが、
その多くは1970年代に集中しており、
やがて80年代の浮かれた雰囲気に埋没していってしまった。
大海原や大空の向こうにある世界へと、風や翼に乗って飛んでいく、
それは逃避行や自分探しのような側面を持ちつつも、
何のアテも、現実的な展望も全くないけれど、夢と希望を載せた人生という旅路。
この時代、そんな雄大なテーマの曲が、案外多かったのだ。
思いつくままにざっと例を挙げると、
「♪流れるような青い風 頬をなぜてゆく 空を飛ぶよ」
はしだのりひことシューベルツ『白い鳥にのって』(1970年/ by)
「♪僕らは呼ぶ あふれる夢に あの星たちの間に」
トワエモア『虹と雪のバラード』(1971年/ by)
「♪果てしない大空と 広い大地のその中で」
松山千春『大空と大地の中で』(1977年/ by)
「♪素晴らしいユートピア 心の中に生きる 幻なのか」
ゴダイゴ『ガンダーラ』(1978年/ by)
「♪そして私は蝶になり 夢の中へ翔んでゆくわ」
円広志『夢想花』(1978年/ by)
「♪明日の風は向かい風 生きてる者の運命なのか」
トランザム『世界は今日もまわってる』(1978年/試聴はこの先から)
「♪準備なんかいらない 春を探しに空を行けば 初めて見るものばかり」
加橋かつみ『ニルスのふしぎな旅』(1980年/ by)
「♪輝く風の中で 笑顔が素敵な真夏の女に戻るだろう」
クリスタルキング『蜃気楼』(1980年/ by
)
といったところだろうか。
その後の「浮かれた時代」が過ぎ去った後には、
雄大な世界に戻ろうにも、そこには狭くなった世界が残されてしまったようだ。
海や空を隔てた向こう側には、まだ見ぬ未来や希望ではなく、
風土や人々が違うにしろ、実はそんなに変わらない世界が広がっている。
物語の中でさえ、過去や異世界のような場所に行かなければフロンティアは存在せず、
現実世界にはユートピアを見い出せなくなってしまった。
「♪青春を旅する若者よ 君が歩けばそこに 必ず道はできる」
もはや、そんなふうに誰も歩いていない場所は
どこにもなくなってしまったのかもしれない。
自分が歩かなくても、元からそこに道は存在しているのだから。
今であれば、もしも翼を手に入れたとしても、
飛び行く先は「君の元」のようなごく身近な世界か、
あるいは逆に現実にありえないファンタジーの世界であって、
もしかしたら、ひょっとしたら、世界のどこかにあるかもしれない希望の地、
そんな「どこか」が存在する余地は、世界のどこを探しても存在しない。
「♪あの日希望に燃えて 君が見上げた青い空」
「♪あてのない青春の橋の途中」
「♪見果てぬ夢を探し求めて」
「♪大空を飛び交う鳥達よ 今よりはるか高く上がれ」
そんな具体性のない、まさに「道標ない旅」を肯定する空気は
あの時代にしか存在しえないものだったのだろう。
澄みきったベルの音だけが、この時代の音として静かに鳴り響く。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
道標
「しるべ」という字は、本来「標」の一字で書くものなので、
このままだと「みちしるべ」になってしまう。
だから何だとしか言いようがないが、
「道標なき旅」でもなく、「道標なき旅」でもなく、
あえて「道標ない旅」と、
ちょっと馴染みのない言い回しをしているところに、青さを感じる。
現在入手可能な音源
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※該当曲を聴ける保証はありません。
脚注
*1:【ジャンルを表わす総称】同じような年代に流行した「四畳半フォーク」や「シティポップ」は、名がついたことによりその後も生き続けているように思う。表題曲のような歌に名付けるとすれば何だろう? ウィンドポップ? アースソング?ガイアウエーブ、なんてそれっぽいけど、いまさら名付ける必然性は全くない