本人の想いが真剣で深刻であればあるほど、
想いが募り過ぎた結果、思考がぶっ飛べばぶっ飛ぶほど、
我々のような無責任な傍観者は、それを茶化さずにはいられない。
果たしてどこからどこまでが実際にあったことで、
どこからどこまでが主人公の妄想なのかわからない世界を
仰々しいアレンジで彩ったこの表題曲は、まさにそんな曲だ。
なにせ、声高らかに歌い上げるその「もしも」の世界は、
ディテイルばかりが具体的なわりに現実味が乏しく、
自信たっぷりに歌い上げるくせに、情けないほどの未練が詰まっている、
そんな矛盾があふれているからだ。
「♪もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう」
この「もしも」は、
未来への希望「もしも 明日○○が叶ったなら」でもなければ、
過去への後悔「もしも あの時○○していたなら」でもない。
かつて願った夢や希望が、今実現していたとしたらどうなっただろう、
という、かなりヒネくれた「もしも」だ。
先に述べたように、ディテイル(細部)は妙に具体的だ。
大きな窓、小さなドア、古い暖炉、真っ赤な薔薇、白いパンジー。
ブルーのじゅうたん、庭で遊ぶ坊や、レース編みをする私。
そしてそれらの傍らには常に「あなた」が寄り添っている。
しかし、これら明るい未来風の「もしも」の続きには必ず
「♪愛しいあなたは 今どこに」というオチが待っている。
全部空想だったんかい!と反射的に突っ込みたくなるし、
もはや「あなた」の実在まで疑いたくなるぶっ飛びぶりには
これはもう茶化すしかないではないか。
さて、「もしも」に続くアレコレは妄想だとして、
かつての恋人である「あなた」に関しては実在とする前提の上に立って言えば、
ここまで一貫性のない雑多な「もしも」のその正体は、
かつての二人が思いむくままに想像した、とりとめもない未来予想図だと思われる。
「小さな家がいいよね」
「だけど窓は大きくって」
「古い暖炉があっても素敵じゃない」
「子犬を飼おうよ」
「庭では男の子を遊ばせて」
「そこにはあなたの好きなパンジーと」
「君の好きな薔薇の花を植えて」
「小さなドアーの部屋に入ると、ブルーの絨毯が敷いてあり」
「私はレース編みなんかしちゃったりして」
どちらからともなく発せられる、思いつくままの未来の可能性。
そんな他愛もない、あんなことやこんなことの数々が
すべて実現したと仮定して仮想世界を創り上げてしまうと、
新しく建てたはずの家なのに、なぜに古い暖炉があるのだ!
と思わずツッコミを入れたくなる世界になってしまうだけだ。
未来がもれなく現実になるはずがないことに気づかぬふりをし、
相手の思い描く未来の中には、自分がいない可能性があることから目をそらし、
今それが叶っていないのは、あなたがここにいないせいだと嘆くことに
白々しさを通り越して、なにカマトト*1ぶってんだという反感を抱かせないのは、
案外、宮川泰*2による仰々しいアレンジのおかげではないか。
ワザとらしいほどに悲劇っぷりを演出し、演劇や物語風に盛り上げることで
内容のうさん臭さを中和させた。
夢見る若者にはある種の共感を、現実を知ったかつての若者には
想いの暴走を、若さゆえの一途さよと微笑ましく見る気分させている。
小坂本人はその有名なシングルバージョンのほうではなく
ジャジーな弾き語り風のアルバムバージョンの方が希望だったというが、
それだとあざとさばかりが鼻について、
若いコが、こんなヒネクレた歌を一生懸命歌う姿を、
微笑ましく受け入れることは出来なかったんじゃないかと思う。
それでもなおツッコみたくなる気持ちを抑えられないのは、
内容と展開がぶっ飛び過ぎているからだろう。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
レースを編む
おそらくここで指しているレース編みは、かぎ針を使って細い糸を
花の形などに編む手編みのレースのことだろう。
慣れてくると、人と話しながらや、子どもの遊ぶ姿を片目に編むことが出来るようになる。
競艇やオートレースのような、レースを構築することではない。
(↑ずいぶんと無理のあるボケ)
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※該当曲を聴ける保証はありません。
脚注
*1:【カマトト】すでに死語に近い。なにせ、この語を説明するために必要な「トト」という言葉からすでに説明を要するくらいだから。トトは漢字で「魚」と書く。今ではスナック菓子の「おっとっと」にその名残を見るくらいしか見聞きする機会が無い、幼児語で魚を指す言葉だ。
「カマボコって魚だったの??」と驚くことから転じて、「カマトトぶる」とは、いいトシであれば当然知っているハズのことを、幼いふりして知らないようにふるまうことをいう。近年でいうと「あざとい」という表現が近いかもしれない。
*2:【宮川泰】宇宙戦艦ヤマトの作曲や、紅白歌合戦のエンディングの指揮でもおなじみだった。派手好きなところは楽曲のアレンジだけでなく、その言動にも表れているような人だったと思う。