時系列から整理していこう。
時は平成元年。
昭和天皇の崩御*1に伴い、1月8日に始まった平成という時代のわずか4日目に、この曲はシングルカットされた。
平成元年(1989年)1月11日のこと。
以下、昭和と平成の境目を反復するように時をたどる。
さかのぼって、およそひと月前。
この曲の初リリースは前年12月のアルバム『不死鳥パートII』に収録されたことによるもの。
昭和63年(1988年)12月1日の発売。
時はくだって、昭和最後の日からちょうど1か月後。
美空ひばり体調不良のため、全国ツアーがわずか2日目を最後に中止となり、結果として生涯最後となったステージ。
平成元年(1989年)2月7日。福岡県小倉でのこと。
昭和63年、昭和64年、そして平成元年。
これらがわずか10週間たらずの出来事だった。
そのわずかな期間の前半、昭和の最期においては、昭和天皇の容態*2を慮って世間は自粛ムードに包まれ、後半、平成の黎明においては元号が変わるというほぼ未知に近いの出来事の中、世間は天皇の喪に服していた。
そして、その後半年もたたずに、美空ひばり本人もまた、還らぬ人となった。
平成元年(1989年)6月24日。
こんな激動の運命をたどった曲が、売れないわけがない。
ましてや、第一級の歌い手による、一定水準以上の楽曲であればなおさらだ。
皆がこの曲に、昭和の時代を重ね合わせたことは想像に難くない。
「♪知らず知らず歩いてきた細く長いこの道 振り返ればはるか遠く故郷が見える」
昭和の終わったその瞬間において、昭和とは、例外なくすべての日本人が、その人生の大半を歩んできた時代だからだ。
62歳未満の人*3は人生のすべてを昭和に生き、62歳以上のすべての人は、人生の半分以上を昭和という時代に生きてきた。124歳を超える人*4なんて今も昔もいないから。
有名なエピソードがある。また時代の境目を超えて時を戻ろう。
シングルリリースのちょうど3か月前、新作アルバム「不死鳥パートII」の制作に先立ち行われた記者会見で、シングルカットを予定していた『ハハハ』(1988年/)を前面に推し出すはずが、スタッフの意に反して美空ひばりが『川の流れのように』を推す予定外の発言をした。
昭和63年(1988年)10月11日のこと。
このエピソードを聞いて連想するのが、映画「ローマの休日」の一場面。
王女が記者会見で、外遊先の国々のどこが一番印象に残ったかを尋ねられ、お付きの者に促されるがまま「いずれの場所も印象深く・・」といいかけて思い悩んだのち、「ローマ!」と答えた、クライマックスのシーン。
周囲の思惑をよそに、本人の強い気持ちが言葉になって現れた場面だ。
昭和63年(1988年)10月28日のレコーディング本番を迎え、美空ひばりの強い希望によりシングル曲が差し替えられた。
かくしてこの曲は、昭和の終焉の象徴になった。
個人的には、スタンダード然したアレンジが結構鼻につく*5が、それを差し引いても、名曲であることに変わりはない。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
スタンダード、スタンダード、した曲だけあって、特筆すべきような特徴はほとんどない。
ベース・ドラムスによるリズム隊の、なんとも単調なことか。
あえて面白い部分を挙げれば、サビの直前の
「♪それもまた人生」
の部分、音階を半音ずつ上げ歩むメロディくらいだろうか。
時の偶然ともいえる状況がなければ、ファンの間では人気の定番曲になっただろうが、現在のように広く知られてれていたかどうかはわからない。
運命のなせる業の、何とも不思議なことよ 。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
「細く長いこの道」
「川の流れのように」
個人のたどった足跡のか細さを表現しているのか、自分で切り開いて出来上がった道を振り返る。
一方で、自分の意思とは関係なく、ただ移り変わって行く季節や時代を川で表現している。
もうちょっと、この道と川の対比がうまく行っていればよかったのにね。
最初からシングルにするつもりでつくていたらちょっとは違っていたかもしれない。
現在入手可能な音源
これは生涯最後になった、文字通りのラストステージ音源
脚注
*1:【崩御】現代では、今上天皇が亡くなった時くらいしかこの言葉は使わないので、ほぼ耳にする機会がない。時代劇とかでは「お隠れになる」とかいう言い回しすることが多い。要するに亡くなること。
*2:【昭和天皇の容態】毎日容態がどうのと言って、吐血量や下血量を事細かにニュースでやっていた。このときに若干と書いてじゃっかんと読むことを初めて知った。下血という言葉もね。いつ死ぬかという実況中継のようにも感じられ、天皇家の人々には基本的人権が存在しないと認識したきっかけでもあった。
*3:【62歳未満の人】なんで62歳かというと、昭和元年、昭和64年ともに7日間しかなかったため。実質昭和は62年間とプラス2週間だった。
*4:【124歳を超える人】2度目の還暦である120歳で没した泉重千代が、当時の世界最高齢記録。諸説異論あるようだが、江戸時代生まれ最後の生き残りといわれていた。この人が亡くなった時にも大きなニュースになった
*5:【スタンダード然したアレンジが結構鼻につく】作詞兼プロデュースの秋元康が、ことあるごとにこの曲に対する手柄をアピールしているのもね