やがて日本のポピュラー・ソングの王道がロック・ポップス*1に移り代わり、
その傍流としてフォーク*2やニュー・ミュージック*3が台頭してきた頃。
従来の古いタイプのうたは「歌謡曲」という新たなジャンル名を頂戴して、
独自の進化を遂げていった。
その中に、「ムード歌謡」という名を与えられた枝葉的なジャンルが発生した。
大雑把に定義するならば、ラテンのリズム*4に乗せて、
コーラスグループが歌う歌謡曲を指すものということになる。
ムード歌謡は、歌詞の内容でさらに2系統に分けられ、
オッサンらのグループが女心を歌いあげる系統と、地域を題材にした内容の系統とがあり、
後者は「ご当地ソング」とも称され、ジャンルの絡み合いが激しくややこしい。
主だったムード歌謡の歌い手には、
表題曲や『ラブユー東京』(1966年/試聴はこの先から)を代表曲に持つ、
黒沢明とロス・プリモスや、
『長崎は今日も雨だった』(1969年)、
『東京砂漠』(1976年/どちらも試聴はこの先から)の、
内山田洋とクールファイブ、
『星降る街角』(1972年/ by)、
『よせばいいのに』(1979年/ by)の、
敏いとうとハッピー&ブルー、といった面々にはじまって、
末は『さよならイエスタデイ』(1991年/ by)
『ガラスのメモリーズ』(1992年/ by)のTUBEと、
意外なところに至ってしまう系譜である。
そのまま脱線したままジャンルの終焉を迎えるのかと思いきや、
やがて21世紀になって、スーパー銭湯アイドルこと純烈が、
正統派のムード歌謡の若き(?)担い手として人気を博し、
ちゃっかりと過去のヒット曲の数々もわが物のようにレパートリーに加えて行っており、
表題曲も「たそがれの銀座体操」なる、怪しげな扱いで取り上げている
ジャンルとしてはもう少し寿命がありそうな気配だ。
・・・ジャンルの説明は、ある種無意味だ。細かく分ければきりがないし、
境界線が非常にあいまいで、言ったもん勝ちの様相も濃い。
果てには「B'zというのは、それで一つのジャンルである」のような
唯一神論者の極論まで飛び出してしまう。
しかし、カテゴリ分けされることで、まだ見ぬ次なる曲を見出すきっかけにもなるし、
何より説明が容易になる。
この『たそがれの銀座』は、それらジャンルのうち、
「ご当地ソング」のどストライクに位置する。
この説明だけで、9割がたの説明が済んでしまうといって
過言ではないような気がしてしまうのは恐ろしいところだ。
ゆったりとしたラテンの軽いリズムに乗って
日が暮れゆき、ネオンサインがともるまでの、わずかな時間の
銀座の情景を歌う。気ままに生きる女たちの情景を。
銀座という地名は飾りに過ぎない。
あくまで主役は彼女たちだ。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
銀座の一丁目から始まって、八丁目までの
ありふれた情景を歌うこの曲、
元々は数え歌のような歌詞を目指していたのかもしれない。
「♪六丁目の ナ(七)ツコは・・・」
「♪八丁目の ク(九)ラブで・・・」
などにそれらしき名残が見て取れる。
歌いだしも
「♪ふた(二)りだけのところを だれかにみ(三)られ」
から始まるしね。
そんなことを考えているとあれもこれも
「三丁目の サ(三)ロン」のように
そこかしこが数字に関係しているように見えてしまう。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
たそがれ
漢字で「黄昏」と書くが、本来の字は「誰そ彼」。日が暮れて人の顔かたちが判らなくなる時間帯のこと。「黄昏」は漢語に同じような意味を持つ日本語の読みをあてた宛字。「百日紅」を「さるすべり」と読むのに似ている。
数寄屋橋は消えても銀座は残る 柳とともにいつまでも
数寄屋橋はかつて江戸城(皇居)の外堀が埋められる前に存在した橋。現在は地名にのみ残る。
『東京行進曲』(1929年/佐藤千夜子/ by
)や
『東京ラプソディ』(1936年/藤山一郎/ by
)など、
数々のうたに歌われた銀座の柳は、消えては復活を繰り返しつつ現在に至る。
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