『東京』の名をタイトルに冠した歌は数多くあれど、
個人的にもっとも好きな曲がこれ。
連呼すればいい*1ってもんでもないが
「東京」という言葉の繰り返し頻度でも、とびぬけて群を抜いている。
おそらく遠距離恋愛という言葉も定着していなかった時代だろう。
遠く離れた東京で暮らす恋人に思いめぐらすこの曲は、
印象的なフルートの音色で始まる。
淡々としたメロディーの中、東京、東京、とひつこく繰り返しているうちに
感極まったように切なく力強いサビに突入し、
最後はどのパートがメロディーラインなのか混乱する*2ような
ハーモニーで締めくくられる。
出発する列車が、二人を猛烈な速度で遠ざけていく。
このシチュエーションは、
イルカの『なごり雪』(1975年/ by
)によく似ているが、
発売はマイ・ペースの『東京』の方が1年ほど前。
ただ、それを言うのであれば、オリジナルのかぐや姫の
『なごり雪』(1974年/ by
)は『東京』よりも半年くらい前だが、
情報やレコードの制作過程のゆったりとした当時のこと、
実際にはどちらが先とも言えない。
時代の流行に乗った必然ともいえる、単なる偶然の一致ではないかと思う。
当時の地方出身者、作り手たちから感じる「東京」とは
こういった、汽車が東京を出発するタイミングで
初めて離れがたいと認識する街だったのかもしれない。
いや、今でもそうなのかもしれない。
行きは揚々と、帰りは後ろ髪引かれる街、それが大都会。
東京から、もしくは東京への距離と、人の絆とを絡めた曲は多く、
「♪恋人よ僕は旅立つ 東へと向かう列車で」
『木綿のハンカチーフ』*3(太田裕美/1975年/ by
)
「♪8時ちょうどのあずさ2号で 私は私はあなたから 旅立ちます」
『あずさ2号』*4(狩人/1977年/ by
)
「♪大阪で生まれた女やさかい 東京へはよう付いて行かん」
『大阪で生まれた女』(BORO/1979年/ by
)
「♪茜の空で誓った恋を 東京暮らしで忘れたか 帰ってこいよ」
『帰ってこいよ』(松村和子/1980年/ by
)
「♪東京へ向かう僕を見送る 君の言葉はない」
『上・京・物・語』(シャ乱Q/1994年/ by
)
など、枚挙にいとまがない。
そして、そこで終わってしまう恋の歌もまた同じくらい多い。
『東京』の二人の物語はこの先、どこまで続くのだろう。
既定路線のように見える破局の予感が、いやがおうにも物語を盛り上げる。
名曲・聴きドコロ★マニアックス
淡々としたAメロの部分、ここの出だしのメロディーラインだが、
特に歌いだしのタイミングが毎回すいぶんと異なる。
おそらく歌詞の文字数が全然違うせいだろう。
「♪さいしゅうでんしゃで きみにさよなら
いつまたあえると きいたきみのことばが」
「♪なにもおもわず でんしゃにとびのり
きみのとうきょうへ とうきょうへと でかけました」
「♪きみはいつでも やさしくほほえむ
だけどこころは むなしくなるばかり」
「♪きみにわらって さようならいって
でんしゃははしる とおいみちを」
フォークの歌詞というのは、えてしてこんなものなのかもしれないが、
実はこれの示すところは、文字数とは別のところにある。
詞と、曲と、歌と
それぞれ分業でやっているとこの現象は起こりにくい。
ある程度の約束事の元分担しないと作る段階で行き詰ってしまうからだ。
詞が先にあるとき、1番、2番、3番と
同じような文字数にしないと、曲をどう作ればいいかわからない。
完全な散文にしてしまうと、
『ボヘミアン・ラプソディ』(クィーン/1975年/ by
)のように
どんどん展開していく曲にならざるを得ない。
歌い手の音域を考えないで、異常に高低差のある曲にしたり、
早すぎて演奏・歌唱できない曲にすることもできない。
一方、自ら作詞作曲・歌唱を行えば、
自分たちの限界を試しながら曲を作ることができる。
これは大きな差だろう。
意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み
走馬燈
なんだかすっかりと、今際の際に見るものというイメージが定着してしまったが、
元は筒状のスクリーンに、内側から連続する影絵をスクロールさせて映し出す灯りのこと。
馬が走る絵柄で有名になったことからこの名になったのだろう。
ロウソクの熱による上昇気流を利用して風車を回して回転させるので、
灯りがついている間はエンドレスで同じ場面がめぐり続ける。
いろんな場面が、幻想的にめぐるめぐる現れるさまを言う言葉なので、
決して汽車に乗っている主人公が、このとき死にかけているわけではない。
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