日本百名曲 -20世紀篇-

20世紀の日本の歌曲から、独断と偏見による日本100名曲を紹介(500名曲もやるぜよ)

『修学旅行』 舟木一夫 ~ 修学旅行の想い出は、やっぱ場所より人と出来事よ

懐メロ特集で必ずと言ってよいほど出現する
「♪ぁ・あ~ぁ~ぁ~ぁ~高校三年せ~」に、
『高校三年生』(1963年/ by )はもう耳にタコよ、
という自分のようなひねくれた輩には
ぜひ、『修学旅行』をおススメする。
『高校三年生』のヒットの最中*1にリリースされた、あからさまな便乗曲ながらも、
結構攻めたつくりの、意欲作になっているからだ。


疾走するような、汽車のリズムにあわせて、
めまぐるしい転調と変拍子の小難しい曲を、
とても高校出たてのホヤホヤと思えないような
舟木一夫のぬたくったような歌声が
おそらく当時の基準でいう「さわやか」に流れていく。
間の抜けた女性コーラスさえなければ、と不遜にも思うのは
現代の感覚だからだろうか。


出だしから「♪・・二度と帰ら~ぬ~」と思いもかけないタイミングでスタートし、
「♪クーラスともだち~」の不安定な音符の並びを通り過ぎたと思えば、
「♪ベルが鳴る鳴る、、プラットホーム」と変拍子のタメを伴ってサビに入る。

楽しげな「♪ランランラ 汽車はゆーく汽車は行く」の長調のサビは
わずか4小節という短さであっという間に通り過ぎ、
ねっとりして若々しさのない「♪若い僕ら~の~」が続いた直後に
ブレーキをかけるような変拍子のタメ、そして
「♪修学旅行~」で再び疾走する間奏に入る。

めまぐるしいったらありゃしない。
なんて複雑さだろう。

変拍子は、前作『高校三年生』でも一か所だけあった。
「♪僕ら、離れ離れになろうとも」の「僕ら」の部分だけ2拍子になっているのだ。
(全体的に2拍子だと考えれば、別に変拍子でもなんでもないという考え方もできる)
おそらく、今回の変拍子もそれを踏襲したものなんだろうが、
汽車をモチーフにした疾走感のあるリズムの中でやられると、
思わずつんのめりそうな効果が得られる。


何のために?
こういう癖の強さは、ある種の病みつき感があるので
捨てがたいのは確かなんだけど。

修学旅行 [EPレコード 7inch] シングルジャケット/amazonより
修学旅行

修学旅行

 
  • 作詞 丘灯至夫、作曲 遠藤実、編曲 福田正
  • 1963年(昭和38年)8月、日本コロムビアより発売
  • 歌詞は歌詞GETへ: 修学旅行/舟木一夫 - 歌詞検索サービス 歌詞GET
  • 曲にまつわる背景などはwikipediaに大して詳しくない:舟木一夫 - Wikipedia

  • で、この修学旅行の行き先はどこ?
    などとどうでもいいことに思い悩み始めたが、
    ヒントになるのは霧の港と、湖畔の宿だけ。どこにでも当てはまりそうで特定できない。


    時代背景からすると、昭和38年は高度経済成長期の真っただ中。
    東京オリンピック開催の一年前、
    ということはつまり東海道新幹線開通前夜ということになる。
    牧歌的な「♪汽車は行く汽車は行く はるばるとはるばると」に騙されそうになるが
    戦前戦後のような、極端な前時代的な物語ではなく、
    すでに修学旅行専用車両は蒸気機関車ではなく、電車だった時代。

    そしてそれまでの、関東方面からは京都・奈良方面、
    逆に地方からは東京方面と、とおり一辺倒だった修学旅行の行き先が
    北海道や九州、信州などの「観光地」へと多様化しはじめ始めていた頃のようだ。
    「海外」という選択肢*2がない以外は、行き先自体は現代と大して変わりはない。


    と、ここまで調べて、思い至ったのが、
    そういや自分自身、修学旅行でどこ行ったかなんて、ちゃんと覚えていないや、
    ということ。
    誰とどういう悪さした、というしょうもない思い出はあっても
    どこでどういう景色を見たかは2の次だったことを思い出す。
    この歌でもたびたび登場するように、どちらかというと
    バスやフェリーのような、移動手段の中の出来事のほうが印象深いような気がする。


    思い起こすは、大阪南港を出て別府港へ向かう夜行フェリーでの出来事。
    朝からずらりと長蛇の列が出来ていた、フェリーの水洗トイレが
    文字通り詰まりまくっていて、流れるものも流せず
    人のウンコの上に重ねてウンコしたのは
    今となっては、2度と訪れることのないかけがえのない思い出だ。
    (こんな文章の締めくくり方で本当にいいのか?)*3

    意味が知りたい★ここんとこ 深読み&ななめ読み

    クラス友達
    「クラスの友達」ではなく、「クラス友達」。
    言ってそうで全然言わない言葉の組み合わせだなあ。
    そのせいで「暮らす友達」に聞こえてしょうがない
    クラスメイト、と言ったほうがしっくりくる。
    『高校三年生』での「クラス仲間」と、この「クラス友達」、
    どっちが親密な間柄なんだろうと、どうでもいいことを考えてしまう。



    現在入手可能な収録CD/視聴可能
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    ▼ 舟木一夫
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    ※該当曲を聴ける保証はありません。




    脚注

    *1:『高校三年生』のリリースから3か月足らずでの発売。最初からの戦略でなければ拙速が過ぎるというもの

    *2:当時、沖縄はアメリカ統治下で「海外」だったため、この当時の候補には含まれない

    *3:もうちょっと詳しく書くと(書くなよ)、十基近くあろう個室便所のすべてに長蛇の列ができ、ひどいので隣の列に、とはいかない状況だった。和式便器に深く腰掛けようとするとケツにおつりならぬ、マジうんこがくっつきそうな感じだったので、中腰で用足しする羽目に。次の順番の奴には「ここ駄目だ」と言い残して去ったが、やはり次の奴も、その次の奴もやむを得ず同じように用を足したのだろうと思う。